Lambency

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まだまだ冬の勢力が優勢な春先、は通路の窓越しに一匹の犬と目が合った。痩せて薄汚れて若さが無い犬なのだが、じっと見つめられてしまったために気になってしまい、少し残業した後あまり期待せず同じ窓から外を眺めた。そこには伏せてどうも可愛げの無い暇そうにしている犬がいた。思わずこぼれてしまった苦笑には諦め、帰りの荷物片手に外へと回った。

「お犬様よ、なんでこんなところで寛いでるのさ」

しゃがんで犬より少し高い目線で声を掛ければ、立ち上がり尻尾を振った。だがどうしてか愛嬌がいまいち感じられない。

「もう少し、なんかこう、可愛い顔できないかなあ」

ほれほれ、と適当な声を掛けながら顎や首、頭を撫でると心地よさそうに目を細めた。犬の毛と汚れがついた手に小さく溜息をついてから、再び撫で回す。すると犬はくぅんと小さく鳴いた。

「顔に似合わず声だけは可愛いな。仕方ない許してあげるよ、見て、手がこんなに」

手のにおいを嗅がせるように、犬の前に差し出したところ少し鼻を近づけた後掌をなめ始める。舌にペロペロとなめられる何とも形容しがたい感覚が腕を伝わり体に広がっていくのが分かった。しかしそれもすぐに飽きたのか、犬らしくない溜息ともとれるような呼気を吐く。ちょっと腹立たしい。

「何をしてんだか知らないけれど、可愛くないなあ……。もちょっと愛想よくしないと可愛がってもらえないよ」
「それは卿の犬か」

突然の背後からの声にびくっとの肩が上がる。そのままギギギと効果音がつきそうな動きで後ろを振り向いた彼女は全力で逃げ出したくなった。まさか、オーベルシュタイン中将の突然のお出ましに嫌な汗が背中をつたった。膝を伸ばし、姿勢を正して敬礼をしてから答えた。

「閣下……、いえ、小官の犬ではありませんが。ここにいたので、ちょっと」

温かみの無い義眼に見つめられ、まだ犬のほうが良かったと心の中で愚痴を零す。ギロと僅かに視線を動かされたので、脳内まで覗けるのかとドキリとして背中にまた汗が増えた。

「ならばよい」
「はあ。この犬はどこから来たんでしょうか。排泄とかされたら困りますよね」

何気ない話題をとしては懸命に振った、振ったつもりだった。

「知らないな、しかし今日から私の家の犬になった」
「えっ!?あっ、いえ、その閣下の犬に、大変失礼致しました!」
「犬に敬意を示す必要も無かろう」
「……もっともですが、その」
「なんだ」
「今日からなんですか」
「今日の昼からだ」

再び「はあ」と曖昧な返事をするしかない。今日の昼一体何があったのかが凄く気になるところだが、さすがに聞けない。とりあえず犬に結構ひどいことを言ったが怒っていないようでよかった。もうこれ以上驚愕の新事実は無いだろうと信じて会話を続けてみることにした。

「何ていうんですかこの子?」
「名前はまだ無い」
「(我輩は『犬』である……!?)そう、ですか……」

アハハーと乾いた笑み(内心爆笑したいがさすがに出来ない)を浮かべながらしゃがみ、犬と視線を合わせる。撫でながら、

「良い名前つけてもらえよー」

と、言ったのが悪かったのだろう。オーベルシュタインが当然のごとく言葉を発した。

「ならば卿がつければよい」

はこれ以上開かないのではないかというくらい大きく目を見開いた。しかし彼は淡々と続け、彼女は反論の声すらも出ない。

「貴族側の不穏な動きが多い。卿は目立つから一層気をつけて速やかに帰るように」

最後にそれだけ行って彼はまた建物の中に吸い込まれていった。オーベルシュタインの犬であったことだけでも十分驚きだったのに、まさか命名権を授けられるとは思っても見なかった。さすが全く予測出来ないことをさらっとやってのける、偉くなるだけあるのだなあと混乱した頭が要領を得ない感想を導き出す。気がつけば犬は再び退屈そうに地面に伏していた。は口を半開きに、ミッターマイヤーが声を掛けるまで唖然の面持ちのままでいた。



2009/08/28(再掲載:2012/09/23)