昨日があるから今日があるのであって、今日があるからこそ明日そして明後日と日々は紡がれていく。
去年の自分があったから今の自分がある、
今の自分があるからこそ来年の自分がそこにいるのかもしれない。
そう思うと時間はとても儚くも残酷だけど、掛け替えの無い愛すべき存在な気がしてくる。
改札を出て家から最寄の駅の階段を下りる。
何故だか分からないけれど、エスカレーターは上りしかないのだ。
小さな駅だから、と言われてしまえばどうしようもないのだが。
最近改装され、外見だけは綺麗になったものの中身は未だに雨漏りする駅。
まだ夏には手を伸ばしても届かない、けれど春も通り過ぎようとしている季節、Yシャツの上にカーディガンを着て袖をまくる。
周りの人たちも思い思いにこの中途半端な季節に合わせた服装をしているもそんな一人だった。
学生鞄を重そうに右肩ら下げ、左手には携帯を握っている姿は地味目ではあるがその辺に沢山いそうな日本の女子高校生の姿であった。
は特別何かに意識していたわけではなかった。
ただ、違和感だけを肌に感じていたのだ。何かが違うと。
そんなは何気なく周りを見てみた。普段のどこか寂しい駅となんら変わりなかった、という表現がしっくりくるだろう。
強いて言うなれば少し外国人の人が多いのかもしれない、程度だ。
この近くには米軍の基地があるため別に外国人がいることは珍しくないのだからやはり、普段の駅となんら変わりないのだろう、そういう意識だった。
まさか自分の様なヤツに英語で声を掛けてくる外国人だっていない、といつも信じて横をすれ違う。
これでもか!という程に英語が苦手なにもこれからの時代英語は必須だということは分かっている。
だからといって通り過ぎようとしていた人に突然声を掛ける様な自虐的なことだって当然しない。
でもやっぱり英語がネイティブのようにペラッペラにしゃべれたらかっこいい、とは思う。
「When in Rome do as the Romans do... だったかな」
郷に入れば郷に従え…なんかよく分からないけどかっこいいから中学のとき一生懸命覚えた言葉だ。
考えてみればココはローマじゃない、日本だから When in Japan do as the Japanese が最適だと思うけど。
なんか色々と無理があるけど。もっとも戦争に負けた日本が郷に従え!と声高に言うのは無理な話だ。
嗚呼、なんて目の前の金髪が眩しいことだろうか。
日本人の黒い髪をいくら金に染めてもやはり地毛の輝きにはとてもかなわないのだから変な背伸びは痛々しいだけだと思う。
あれだけ髪の色素が薄いならさぞ瞳も自然に鮮やかな色をしているんだろう。
今度は痛んでいない茶髪だ。茶髪に日々頑張って染めている日本人の多くがうらやむことだろう。
色々と考えすぎて歩くスピードがのんびりになりすぎていたのかもしれない、まさかこんなにたくさんの人に追い越されたのは久しぶりだ。
意識的に早く歩いているわけではないけど、前をちんたら歩く人にあわせて歩くのが嫌いなだけなんだけど。
しかし今日は本当に外国人の方が多い、そして階段が長い………長い?
は急に前方へ意識を集中させた。
目の前に広がっていたのは東京の都心を彷彿させる四角に切りとられた青空に白い雲。
だがなにか日本の堅苦しい飾り気とユーモアの無いのとは違う、洒落っ気のある街並み。
後ろを振り向いても降りてきた筈の駅の雨漏りする階段はおろか、見覚えのあるものは何も無い。
行きかう人々は多種多様、自由に己の思うように活動し会話しているその会話は主に英語であっても耳をすませば限りない言語が聞こえてきそうである。
彼らはハンバーガーについて話し合っているのだろう、…まだ食べるつもりらしい。
しかし一体いつから自分の「どこか寂しい駅」はこんなにも活気に溢れた街にアクセスできるようになったのだろうか。
否、ありえてたまるものか。
は目を瞑り大きく深呼吸してから目を開いてみた。
しかし移るものは何も変わらなかったのであろう、溜息を零した。
空を仰ごうと視線を上げてみればやはり高層ビルとビル。
自分は下校途中なのだから夕方であるはずなのに目を細めたくなる程の青空とは何事か。
そんな時、ビルに設置されている大画面に映ったのは"April 1, 2303 1:23 p.m."
2 3 0 3 年
どうかエイプリルフールであってくれ
+++08/6/3
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