私的まほろば
IF 理一
お酒を呑めるようになってから数ヶ月。大人になったのかと問われれば、答えはNOだろう。ただ年齢が成人といわれる歳になっただけで、一気に世界は広がったものの、私自身がそれに伴って大きく変わったわけではない。小学生から中学生になったとき、中学生から高校生になったとき、高校生から大学生になったときの様な自分の変化への衝撃は全くなかった。子供ではない、けれどだからといってまだ私は大人じゃない。
「乾杯!」
二人向かい合ってグラスを傾けた。にっこり笑っているおじさんに、いつものキュンと来るトキメキではなくドキンとする胸の高鳴りを感じて僅かに視線を逸らす。なぜこんな状態なのかと言えば、東京に遊びに行くといったら、理一おじさんが夕食を奢ってやるから一緒に飲もうと誘ってくれたのだ。連れて行ってくれたのはとても自腹じゃ入れないようなおしゃれなお店。
仕事帰りのおじさんは普段のラフな格好と違って、さらりとスーツを着こなして本当に、大人の男性だった。ドアでもエレベーターでも席に座るときだって、レディーファーストらしく先に譲ってくれた。階段を下りるときに『足元に気をつけて』と言って手を差し出してくれるのは反則だ。背も高くて、(たぶん)優秀、運動神経も良好、容姿だって良いほう(だと思う)のおじさんがいまだ独身なのは何故だろうか。先ほどからの余所行きバージョンのおじさんはとてもスマートで、少なくとも女性に嫌われることはないはずである。(まあ、女性に困ってないのか、遊び尽くしたのか……)目の前でゆったりと腰掛けているおじさんをこっそり盗み見してまたドキリとする。女性扱いされただけで動揺してしまう自分は一体どれだけ初心なのか情けなく思うが、回りでこんな風に女性扱いしてくれる人がいなかったのだから仕方ないと無理やり納得する他ない。いや、この間一緒に飲みに行った侘助おじさんはアメリカ帰りらしくレディーファーストだったが、こんな雰囲気はなかった。呑みに行った先が街の小さな居酒屋だったのが行けないのだろうか、それとも侘助おじさんが本当に単なるおっさんみたいだったのが行けないのだろうか。無精ひげも程ほどなら色気だが、生やしすぎは本当に単なる無精だということが良く分かった。
「どうした、」
声をかけられて、ようやく一人でずっと考え耽っていたことに気付かされる。
「あ、ううん。なんだろう、侘助おじさんとは随分と雰囲気違うんだなって」
「侘助と?」
「うん。最近我らがおじ様方に色々とお誘いいただいておりましてね。この間は侘助おじさんと飲みに行ったの」
「へえ、二人で?……まあ、お前は小さい頃から酒豪の風格があったから皆期待してたんだよ。一緒に飲めるようになって嬉しいんだよ」
「二人で。奢ってやるから付き合いな!って。セリフは違うけど侘助おじさんも理一おじさんも似てるなあって。でもさそういうところは似てても、なんかこう方向性はまったく違うんだよね」
「方向性、ね。……、良いことを一つ教えてやろう」
「ん?」
そう言って理一おじさんはもったいぶる様にグラスを少し傾ける。
「異性と二人っきりでいるときに、他の奴の事を話さないこと。ましてや比較はダメだ。相手が嫉妬してしまうからね」
思いがけない忠告に、の胸はまた大きく高鳴る。は「ね?」と釘を刺されてしまい、何か上手いことを一つでも言いたいのだが何を言えばいいのか頭の中は真っ白になってしまいぎこちなく頷いた。そんなに理一は満足そうに小さく笑った。ドキドキドキドキと胸の音が煩いほど体中に響いて、は焦る。何か別のことを話さなければ、それだけが頭の中に浮かんできて鼓動を抑えるためにも口を開いた。
「じゃあ、おじさんの話」
「喜んで」
その一言と余裕な姿にまた胸は煩くなる。
「お、おじさんはさ、恋人とかいないの?」
「……また直球なのが来たな」
理一がふっと笑い、僅かに間を置いてから口を開いた。
「居ないよ。俺にはが居るからね」
「ちょ、な……誤魔化し禁止」
「誤魔化しでも嘘でも無いよ。が他の男と一緒になるまでは、少なくともね」
顔に全身の血が集結しているのではないかと疑いたくなる程、は顔が熱くなるのを感じた。
「おじさんってば!……ああもう、さっきからなんだか、心臓に悪すぎて顔が熱いよ。私にさ、こ、恋人とか出来ないのだっておじさんのせいなんだしさ!」
「俺のせい?」
「そうおじさんのせい!理一おじさんが居るせいで、なんだろう理想が高くなっちゃったみたいな?」
「なるほど、俺より良い男はまだ見つからない、か。嬉しいよ。……何より、今が俺を男として意識して、顔を赤くしていることがね」
そう言ってさりげなく寄こしてくるウィンク。何が起きているのか言われているのか把握できても、理解できない。
「、お前ももう成人したんだ、口説いたって罰は当たるまい。長期戦でも構わないんだが、生憎俺はお前さんより結構早くおじいさんになってしまうんでね」
(2010/10/20)