私的まほろば

おじさんと泣き虫

風鈴が縁側から風を伝える。そこを「ママー」と泣き叫ぶ真悟がバタバタと走っていく。風通しの良いリビングに腰掛けた理一は遠目に見ながら些細なことを思い出し、笑った。それに気がついた太助は怪訝そうに、けれど下らなそうに溜息をつきながら聞いた。

「また、お前つまらないこと考えてるだろ」
「つまらないことと言っていいんですか。兄さんのご息女様についてですよ」
「ほーら、あの馬鹿娘についてだろ、ったくお前も飽きないなあ」
「そりゃあ、先に惚れた方が負けですからね、俺の完敗」
「……え、なに、お前が先だったの」

唖然呆然、そんな表情を浮かべた太助に理一は笑みを深めた。




「おにいちゃんの、ばかー!」

兄と喧嘩して負けたは屋敷中に響き渡るような大きな声で泣いていた。そんなを翔太は面白がって泣き虫と囃し立てた。我慢の限界などとっくの昔に超えていたはわっと走り出して慰めてくれる大人を無意識に流し、リビングへと向かう。けれどそこで待っていたのは、もはやの泣きっぷりには慣れた様子な大人たち。端から万理子おばさん、お父さん、おじいちゃん、雪子おばさん、理香おばさん、理一おじさん、侘助おじさん、聖美おばさん。とりあえず父親に縋ろうと近寄るがタイミングよく太助は言ってしまった。

「また、泣き虫か。泣いてばっかで悔しいならやり返してこいよ、翔太にさ」

小さいなに後半なんて関係なかった。出だしの『泣き虫』では完全に父親に裏切られてしまったのだ。ピタリと歩みを止めたは、溢れる涙も上手くしゃべれない肩と胸の震えも、止まらない鼻水も一切隠さずに必死に叫んだ。

、は、なきむし、じゃなーいー!」

そうと言うや否や、うわーん!と再び大声で意味の無い叫びをあげながらリビングを走り去った。しかし、僅かな間に起きた出来事を重要と捕らえた大人はそこに誰一人いなかった。

「あんたのとこのサイレン、また走ってちゃったわよ」
「どうせしばらくどこかに隠れていじけてるだけさ。寂しくなったら出てくるよ」
「あの子も馬鹿よね、毎度のことになると誰も構ってくれないってこと気付かなきゃ」
「厳しいねえ、姉さんは。姉さんだって小さい頃はしょっちゅういじけてたのに」
「うっさいわねあんたは。でもだから分かるのよ、学ばなかった自分が恐ろしく馬鹿に思えんのよ」
「あ、お茶誰か飲む?」

のほほんとした雪子の質問によって、の話題はそこで消えていった。



一服してなんとなく自室に戻った理一を待っていたのは予想外なものであった。もうすっかり頭から抜け落ちていた、泣き虫。勉強机の下に、が小さく丸くなって収まっていたのだ。グズグズと鼻をすする音と、一生懸命に呼吸を整えようとする寂しい音が理一の耳についた。慌てて駆け寄り、引きずり出して不満そうなを自分の前に座らせた。

「……理一おじさん遅い」
「ご、ごめんな」

何で自分が悪いのかイマイチ理解が追いつかないものの、逆らう必要は無いだろうと理一はとっさに謝った。適当に頭を撫でて宥め様と試みるがはご機嫌斜めのままである。

「あの、ね、おじさん」
「うん」
「おじさんは、のこと、泣き虫って言わないから、好き」
「(それは、機嫌のいい時しか遊んでないからなあ)そうか」

ちょっとずつ落ち着いてきたはポツポツと話し出した。
それにそっと思考を止めることなく理一は相槌を打つ。

「お父さんは、好きだけど、泣き虫って言うから、嫌い」
は難しいことを言うなあ」
「お兄ちゃんは嫌い」
「(これまたばっさり)……でも兄ちゃんだ、あまり嫌いになったら可哀想だぞ?」
「知らない」

はふと立ち上がって部屋に置いてあるティッシュに手を伸ばして、ぶーっと鼻をかんだ。それをゴミ箱にちゃんと入れてから、再び理一の前に正座して座った。少し真面目な顔をしたに理一は、どうした?と声をかければ小さな頷きが返ってきた。

「あのね、おじさん」
「なんだい」
はね、おじさんに見つけて欲しかったから、ここに隠れたの」

無意識にスカートきゅっと握った。眉を八の字にしてさっきまで涙で潤っていた瞳に見つめられて理一ははっとした。




「俺はあの時、この子を守らなくてはと思ったよ」
「え、ちょっとまって、お前って、えー」

太助のげっそりした表情に、肘を立て手の甲に顎を乗せたまま理一がさらっと笑った。

「あいつは覚えてないだろうけど、あの時言った『泣くときは隠れないで俺のところに飛んで来い』って言葉を未だに守ってる」
「……、てかの奴なんてことを言ってんだ。馬鹿だろ」
「まあ無意識で深い意味も考えも無かっただろうけど、今じゃ俺にとっては掛け替えの無い思い出」
「お前も致命的な馬鹿だな」
「最高のお褒め言葉を頂き、光栄ですよ」
「えっ、なになに、お父さんが何を褒めたって?」

そこへ数学Tと書かれた教科書とノートを持ったがリビングへ現れた。興味津々という表情がありありと出たまま近づき、自然な動作で理一の隣のソファに腰掛ける。

「お前は勉強してろよ」
「お父さんは黙ってて。で、理一おじさんは何を褒められたの?それと数学を教えてください」
「おまっ父親に向かって……!」
「別にたいしたことじゃないさ。まあ、とりあえず問題を見せてみろ」

太助をそのままに、理一とは互いに少しずつソファを近づけあい、肩を寄せて教科書を開く。

「ねえ、お前らいつまでそれ続けるの?」

二人は視線を交わし見事に同じタイミングで不敵に微笑んだ。

(さあ?)


(2010/08/10)