言霊人

22 視線を上げるのは

立派な門の傍には、控え室の様な小部屋がいくつかあり、はしばらくそこで待たされた。

「何用か」

シュガは開口一番にそう問うた。唐突に現れたシュガに驚きつつも、は慌てて席を立ち、挨拶をする。部屋に入ってくるなり問いかけたままこちらを見下ろしているシュガは、前回会ったときよりいささか痩せてやつれた印象を受けた。

(それも仕方ない、か……)

大切な皇子が亡くなり、けれど渇ノ相は未だ消えない。憔悴するのも無理からぬことだ。少し見上げる状態になりながら、はぐっとシュガの瞳を見つめ返した。

「シュガ様、渇ノ相は消えましたか」

その簡潔な問いに、シュガの表情に苦みがさした。

「渇ノ相に深く関わっていたはずのチャグム皇子が亡くなられたのに、なぜ。……シュガ様ともあろう方が気付かないはずがありません。皇子の死を、無駄にしてはいけない……。違いますか?」

責めている様にもとれる、はっきりとした口調がシュガの心に刺さる。
……言われるまでも無く、彼自身が一番理解している。だからこそ何も言い返せない。 悔しさがこみあげ無意識に力がこもったその拳を、はそっと持ち上げ、両手で包みこんだ。静かな、けれど唐突な彼女の行動にドキリとする。反射的に手を引こうとしたはずなのに、何故か身体が動かなかった。包まれた右手が温かい。の視線は柔らかく拳に注がれていた。

「……シュガ様は、渇ノ相が消えない理由をどうお考えですか」
「……」

に問われるまでもなく、その原因については考えていた。大導師様には及ばずとも、他の星読みの誰よりも多くを学んできた自負はある。けれどそんな己の知識をどれほど必死にたぐっても、その問いの答えは導き出せなかった。 慈しんできたチャグム皇子の死の知らせ。けれど未だ消えることのない渇ノ相。焦燥が、憔悴が、差し迫る困難に対する視界をさらに曇らせる。苦しげに顔を歪めるシュガに、は静かに言葉を続けた。

「今回のこの渇ノ相は、これまでにも度々起きてきたような定期的に訪れる干ばつを予期したものなのでしょうか。……あるいは、」
 

憔悴している自分とは対照的に落ち着き払ったの言葉に、シュガははっと気づいた。

「……そなたは、この渇きの原因をも『知っている』、のか」
「……『何』がこの地に渇きをもたらすのか。そこに、この国の行く末に関わる大きな問題が潜んでいます」
「……! 知っているなら、何故 「けれど」

『知っている』のだと暗に肯定したに対するシュガの問いかけに、けれどはわずかに強めた声を重ねるようにそれを押しとどめた。

「私が今ここで"知っている"ことをあなたに述べれば、近々の問題はたやすく片付くでしょう。ですが、シュガ様」

シュガの手を見つめていたは、その視線を静かにシュガの瞳に移した。

「あなたが……この国に生きるあなた方が自ら気付けなければ、次なる災いは避けられず、皇子のような悲劇を繰り返してしまう。それではこの国の未来は……繁栄はありえない」

ひたと瞳を見つめ静かに紡がれる彼女の言葉に、シュガはつばを飲みこみ、己を落ち着かせるべく深く呼吸した。

「つまり今現在のこの状況は……そなたの言う『本当の終わり』ではない、という事か」

 深呼吸してなお緊張を含むシュガの問いかけに、は再び視線をその手に戻した。

「はい、シュガ様。……今、シュガ様の手は冷え切っています、とても緊張なさっているのでしょう」

そう言ってその冷え切った手を温めるように優しく握り、そして再びゆっくりと顔を上げたは、シュガに向かってふわりと微笑んだ。

「とても、疲れていらっしゃるように見えます。一度ゆったりと心身ともに休めてくださいませ。…そうすれば、今はチャグム皇子が亡くなられたことで狭くなってしまっている世界も、再び広がりましょう」

微笑みとともに向けられたその労りの言葉に、シュガは幾度か瞬いた。
言葉の終わりとともに離れていった手を少しだけ寂しく思った自分が意外だった。

(狭くなっていた世界、か)

 本当に、久しくして目を開かされたかのような思いだった。

「いや、それを待っている暇は無いな。…先ほどサグム殿下にも励ましのお言葉をいただいたばかりだというのに、私もまだまだのようだ」

 
そう言って微かな笑みを浮かべてから、シュガは再び光を取り戻したような瞳でを見据えた。

、そなたには感謝する。私はこれから己の足で外へ行き、調べなければいけないことがたくさんあるようだ」

告げるやいなや、シュガはさっそく扉へ向かってきびすを返した。―――が、一歩通路へ出たところで何かに気付いたのか、再びのほうを振り返った。

「そなた、馬に乗れるか」

唐突な質問に、首をかしげながらもは答えた。

「乗れません、が……、」

ならば、と言葉を続けてシュガはに向き直った。

「私の馬に乗ればよい。ともに行かないか」

それは―――それはとても魅力的な誘いで。一瞬、の心は動かされた。 けれど、今の自分にはアムスランとの約束の方が大切だった。首を横に振り、辞退する。

「申し訳ありません。せっかくですが、私にもこの後やらねばならないことがあります」

「……そうか。こちらの提案こそ唐突すぎたようだ、すまない」

そう言って、シュガは残念そうに小さく笑った。

「そなたとはもっと話してみたかったが、……それはまたの機会としよう」

「私も楽しみにしております。……シュガ様、どうかお気をつけて行ってらっしゃいませ。十分な休息も忘れないようにしてくださいね」

「ああ」

頷いて、今度こそシュガは立ち去った。



残されたは、部屋に他の誰もいないのをいいことに、両手を思い切り天井へ突き出して伸びをした。凝り固まった筋や関節が伸びて、適度な気だるさが心地良い。続けて首の筋もしっかり伸ばしているとき、はっとした。

(もしかして……シュガ様、これからタンダと接触するのかな)

まさか、自分があの巡り合わせの後押しになるとは思わなかった。
気づくと同時に、シュガについていかなくて良かったと心底ほっとした。今、下手にバルサに繋がる人と接触するのはまずい。裏で繋がり、画策していると疑われるのはつらい。タンダと再会したい気持ちはあったが、この『精霊の守り人』という一つの物語が終わればもはや彼らと敵対する必要も無いのだから、きっといつでも会える。少しばかりの我慢だ、と自分を納得させた。

「さてと、―――行きますか」

一人呟いて、は買い物をするべく、人と物でにぎわう扇ノ下を目指し、星ノ宮を後にした。





「相変わらず騒がしくて、楽しいところだなあ」

扇ノ下に対する、これがの率直な感想である。 人が多すぎるのも考えものだが、誰もいない静かすぎる場所は時と場合によっては耐え難い。このざわめきが自分を街にポツンと置き去りにするような孤独感と、周囲の賑やかさを他者とともにする連帯感のようなものが入り交じった、この形容しがたい空間は嫌いではない。結局のところ、一人でいることが好きなのか怖いのか。自分でも分からない、そんな奇妙なバランスが楽しかった。

今日が買いたいものは、簪、髪結いの紐、端切れ、糸、それと佩緒。

(でも、佩緒は…どうしようかな)

他にも帯留や新しい櫛があったらいいなあとは思っているけれど、不足しているわけではないからきっと見るだけだろう。代わりに、ヘキムームを久しぶりに食べたいところだけれど、この歳で買うのも少しためらわれる。

そんなことを考えているうちに思考は深く入り組み、いつの間にかの足は止まっていた。

シュガに発破をかけるには、自ら星の宮へ行って会わずともタイガに文を持たせれば事足りたのだが、は思い切ってシュガのもとへ会いに行った。そうしてするべき仕事を終えた今、次なるタイガとの対話のために、気力と精気を養わなければならない。

(そうとなれば、久しぶりに自由を満喫せねば。さあ、買い物買い物!)

そうして意識的に足取りを軽くし、は再び賑やかな扇の下を歩き出した。




(2012/12/20)