通り雨

往 8

ザアザアザアザア



は雨に濡れて冷え切った身体をブルっと振るわせた。身震いによって覚醒した意識は、に驚きをもたらした。見慣れた景色だと時間をかけて認識し、絶望とも喜びとも寂しさとも安堵ともいえない気持ちが胸にあふれだす。

「……帰ってきてる」

身体に張り付くパーカー、右手には今濡れ始めたばかりのきれいな麦藁帽子。左のポケットに違和感を感じ調べてみれば出てきたのは見覚えがある懐中時計。ひゅっと息を吸い込んだ。
気がつけばはぬかるんだ山道を無我夢中で走り出した。




「おばあちゃんっ!」

麦藁帽子を部屋に投げ込み、はびしょぬれのまま縁側をドタドタと走っていく。万理子の叱責が聞こえたにも構わず栄の部屋へ飛び込んだ。

栄は驚いた顔でを迎えた。
は曾祖母を目の前にして言いたいことがまとまらず、何から話したら良いのか、何がしたいのか分からなくなり畳の上でへたり込んだ。栄は眉を顰めつつ、の傍まで移動してきた。優しい声で「どうしたのか」と問われて堪らずの瞳から涙が溢れ出した。けれどもそれを拭わず、ポケットから懐中時計を探り出し栄に差し出した。何事か理解が追いつかない栄の動きが完全に静止した。
二、三呼吸間があいた。

「……あんた、これ……」

これほど動揺した曾祖母をは初めて見た。驚くほどゆっくりと戸惑いながら懐中時計を受け取り、数え切れないほど瞬きをしていた。

「一体、どうしたんだい」

は一度大きく鼻を啜った。

「……おばあちゃんに返して欲しいって、おやかたさま、信玄公が」

栄がびしょぬれのを、濡れるのも関わらず抱きしめた。震えるを年老いた細い身体が包み込んだ。伝わってくる人の温かさと、言葉にし難い安心感にはほっとした。

「良い家族に恵まれて、幸せそうで、何よりって、言って、ました。あ、あと、……『出来るだけのことを、やったようだな』って」

栄が「そうかい、そうかい」と返事をした。止め処なくあふれ出す涙などいつものことだと気にせず、は続ける。

「私、武田信玄公に会った、真田幸村に会った……、忍者、だって自分で言ってる人に会った――」
「そうかい、そうかい」

「――怖かった、怖かった、怖かった、怖かった怖かった怖かった怖かった怖かった!」
「そうかい、そうかい」

「……で、も、いますっごく、わかんないけど、なんでか寂しいの」
「そうかい、そうかい」

思いを吐き出して、少し落ち着いたははっとした。
震えていたのが自分だけではないことに気がついたのだ。
栄の身体が声と同じように震えていた。



2013/01/05