言霊人
04 再び歩みだす道のりは
が泣き止むのを待って、話し合いは再開された。タンダは、話し合いの続きは明日からにしようと言ってくれたけれど、が続けたいと願ったのだ。トロガイの出した、感情を切り捨てた応えが、の心の迷いを消した。
「さて、。お前さん、今後どうするつもりじゃ」
いきなり、一番痛いところを衝かれた。答えに窮していると、見かねたタンダが声を発した。
「急ぐことはないさ。ここにいればいい」
けれど、そんなタンダの言葉を、トロガイは即座に一蹴した。
「阿呆!バルサじゃあるまいし、いつまでもそうにはいかんじゃろう。
それにしては、この馬鹿弟子が丹精込めて育てた甲斐はあるようじゃな。」
「あ、の…?」
会話についていけないは、首をかしげた。すると、タンダが言いにくそうに口をひらいた。
「しかし、師匠…その……実は、はまだ町へ行ったことが無「なんと!そこまで過保護に面倒みてやってたのかい」」
言い終わらないうちに、タンダの言葉はトロガイの声に打ち消された。タンダが苦笑する。
「仕方ないじゃないですか。会ったばかりのはあまりに何も知らなくて、外に出していいものかと「それを過保護と言うんじゃい!」」
またも言い終わることなくトロガイに言葉を打ち消され、タンダはバツが悪そうに首を竦めた。
「あ、の…!」
それまで黙って事の成り行きを見守っていたが、急に手を挙げた。トロガイは、ふん!と鼻をならした。
「なんだい、言ってみな。」
つい<学校>での癖が出て挙手してしまった自分に、内心苦笑しながら、は自分の希望を述べた。
「はい。その、私…自活出来るようになりたいんです。泊り込みの奉公先とか、そういうものがあったら、一番いいのかな、と思うんですが」
するとトロガイが、自身の膝をバシバシとたたきながら豪快に笑った。
「傑作だねこりゃ!育ての親よりもしっかりしてるよ、あんたは。よし…」
一呼吸おいて、トロガイはまた元の飄々とした表情に戻ってた。そして、タンダに向きなおる。
「タンダ、あんたがしっかり奉公先を見つけてやるんだ。いいかい?」
はあ、とタンダは小さく溜息をついた。いいも何も、師匠と、何より本人がそう望んでいるなら、タンダが否と言えるはずもないのだが。
「わかりました。、俺のことは気にしなくていいし、遠慮もしなくていい。確かに、働かなきゃ食っていけない。…それに、は年頃だし、むしろ「年頃!?」」
と、思わぬところで大きな声を出したに、タンダとトロガイは驚いた。そしてトロガイは再び爆笑し、タンダは大きく溜息をついた。
「…お前さんはもう、充分誰かと結婚していい年なんだぞ。むしろ、無理に働くよりも相手を見つけたほうがいいかもしれない」
タンダの真剣な言葉に、笑いが収まったらしいトロガイが、大きく2、3度頷く。
「働くだけが選択肢じゃない」
「結、婚…」
新たに増えた選択肢の方が、にとって驚くべきものだった。まさか15でこの世界にきて、(今気づいたが)16歳になったばかりの自分が、<結婚>。確かに、昔は日本のみならず世界的に婚姻は早かった気がする。が、まさか現代人の自分にそんな状況に置かれる日がくるとは、夢にも思わなかった。だから、今もし誰かと結婚できるかと聞かれたら、即答で否!だ。そうなれば、の中に答えは一つしかない。
「働きます」
働くと決まれば、実行は早かった。タンダのツテで、住み込みの奉公が決まった。薬膳などを主とした料亭である。基本的に、は掃除・片付け・接客をやるらしい。新しい生活の始まりに、は期待と不安をふくらませた。
奉公も間近に迫ったある日、タンダが新しく用意してくれた着物を身につけて、は初めて新ヨゴ皇国を目の当たりにした。文化や時代以前に、文明の違いを全身で感じたときは、さすがに声にならなかった。多くの人が行きかう道に、車のようなものは通らない。信号機も無いのに、何故だろうか、そこに秩序は存在していた。は、時代劇のセットの中にポツンと一人置き去りにされたような気分だった。自分は何か膜に覆われて、音がどこか霞んでいるような、そんな気がした。自分世界に帰れない、と言われたときと同じくらい、堪え難い衝撃だった。確かにここに自分は存在して、自分の足でこの世界に立っていても、どこか、地面に足がついていない様な気がしてならなかった。(お母さん…)無意識に、心の中で母を呼んでいた。(叫びたい、叫びたい、叫びたい、お母さん…!)
「?…おい、どうした」
顔が真っ青だぞ。そうタンダに言われて、は意識を現実に戻した。気付けば、立っているのも精一杯な状態だった。前髪が、汗で額に張り付いている。
「…ちょっとカルチャーショックが強すぎて…。」
やっとの思いで応えたけれど、その言葉ではタンダに伝わらない事にまで気が回らなほど、は動揺していた。長い、長い瞬きをしながら、自分を落ち着ける。(――大丈夫…私は、大丈夫。)再び、人々の賑わいが直接の鼓膜を刺激するように戻ってきた。半年もの間、この強いカルチャーショックを受けずに済んでいたのは、紛れもなくタンダのお陰であることを、深くかみしめた。
今日一日は、の生活必需品を買い揃えるために与えられた。尤も、にこれといって欲しいものはなく、着替え以外は櫛程度しか必要なものはなかった。どんなものでも無駄にはせず、余分なものは持たない。タンダとの生活で身についた習慣は、確かに自分の中に根付いていた。いくらなんでも年頃の子が…と言ってタンダが買ってきてくれた簪が、の唯一の装飾品である。あまりにも物欲が無いに、さすがのタンダも呆れた。
その日は宿に泊まった。明日は、が薬善処に挨拶に行き、奉公が正式決定することになっている。そして、明後日からは早速働き始めるのだ。言いかえれば、明日を最後に、タンダとは滅多にあえなくなるということだ。そう考えて、は急に寂しくなった。こちらの世界に来てから、ずっと世話をし続けてくれたタンダ。にとって、彼は頼りになる兄の様な存在であった。少ない持ち物の中では量をとっている学生鞄と制服が、部屋の隅にまとめて置いてある。それを見つめたまま、はゴロリと寝返りをうちうつ伏せになった。学生鞄と制服だけが、この宿のの中に馴染まず、異彩を放っている。捨ててしまおうかと思った。もう二度と、それらを身につけて学校に行くことはできなくなったのだから、と。けれど、やはりそれはできなかった。(この世界に、私の過去を知る人はいない。これを捨ててしまったらもう、以前の私を証明してくれるものは何も無くなってしまう…)再び寝返りをうち、布団の中央に納まる。屏風の向こう側にいるタンダの呼吸は、すでに規則正しい。(…私も、明日に備えて寝よう)目を閉じたから、タンダと同じ規則正しい寝息が聞こえてくるのに、そう時間はかからなかった。
(2009/02/22)