言霊人

05 生まれる命

 昼時を過ぎ、店の客が減り始めた頃。店の前で掃き掃除をしていたは、唐突に、何かに呼ばれた気がして、屈めていた腰を伸ばした。その目の前を、一人の男が通り過ぎる。その男の姿に、は何故か既視感を覚えた。と、の中で霞がかっていた部分の記憶が、突如として鮮明に蘇った。

――「新ヨゴ皇国」「タンダ」「トーヤ」「サヤ」…「狩人」「チャグム」「バルサ」…――

 箒を持つ手は止まっていた。その「男」は視線に気づいたのか、の方へ振り向いた。が、それも一瞬で、そのまま通り過ぎていく。今まで自分の中で朧気だったモノが今、完全な形を手に入れた。 ――『精霊の守り人』





 急に考え事が多くなったせいで、仕事はあまり手につかず、夕食時には何度か小さなミスをしてしまった。申し訳なくてただひたすらに謝罪するを、信頼をおいてくれているこの店の旦那様は笑顔で許し、それどころか、早く休むようにとを気遣ってくれた。は、そんな旦那様に心から感謝した。

 閉店後の片付けを済ませ、は急いで与えられている自室にもどった。極力、元の世界を思い出さないためにと開けずにいた学生鞄を押入れから引っ張り出し、少しためらったのち、開けてみた。多少かび臭くなっているが、基本的に中身は来た時と変わっていない。強いて言うなら、トロガイにあげた水が無いことくらいだ。は、数年前の自分が電車の中で読むために持ち歩いていた本を探し出した。

「あった、これだ…」

 『精霊の守り人』というタイトルの書かれた文庫本は、多少黄ばみながらもしっかりと鞄の中に入っていた。全体の五分の一くらいのところに挟んであるしおりは無視して、一番最初のページを開く。灯りに近付き、は懐かしい文字を目で追い始めた。アニメと原作は基本的に同じだが、所々違う部分がある。先にアニメで物語を知ったにとって、原作はアニメで語られなかった部分を補足してくれるものだった。そして今、再び読み直し、事細かな出来事や行動まで、物語をなぞっていく。今、自分がいるのはアニメの流れなのか原作の流れなのかを見極めたかった。(自分が、物語を曲げてしまうわけにはいかない…――)正座した足が痺れて徐々につま先が冷えていくのも、灯りが少しずつ小さくなっていくのも構わず、は本を読み続けた。本以外のこと全てが、の頭から抜けてしまっていた。灯りの油は刻一刻と減り、夜が更けていく。そしてとうとう夜明け前に、はその本を読み終えた。(本だと、バルサが最後にこっちへ帰ってきたのは…――)

 と、その時。は急に強烈な睡魔に襲われた。鈍器で後頭部を殴られたかのような、にぶい痛みがを襲った。ガクン、と体がかしぐ。(な…に……ま…だ、起き――)しかし、抵抗も虚しく、の意識は途絶えた。





静かに無数の光が生まれゆく

(――ああ、暖かい)
(生きてる、とってもやさしい――)

鼓動するように光が小さく波うつ

光に包まれた『何か』がそっと回りだす

(「生まれたい」って、言ってる…)

「――…いってらっしゃい」

その言葉を待っていたかのように光は思い思いに飛び出していく

そして柔らかくも強い輝きを残し静かに消える

それはまるで「いってきます」と告げるかのように


そうして光が消えていくごとに、『ここ』は暗くなっていった。
まるで、深い深い水底に落ちていくかのような感覚。
けれど。

(とても心地良い――…)





 ぼんやりと目覚めたは、ふと自分が泣いていることに気づいた。
まるで、何か大事なものが自分の元を去ってしまったかのような、空虚な感覚。それが無償に切なくて、なのに何故だか誇らしく、嬉しくもあった。の涙が、暫く止まることはなかった。

 泣ききってしまえば、はむしろ清々しい気持ちになっていた。
だからだろうか、はある決心をした。自分の思うように生きよう、と。自分の中から消えていった『何か』が、そうしてくれ、と言ってくれていたような気がした。ふと背後に差し込む朝日を見て、もう朝を迎えていたことに気づいた。は、清々しい気持ちのまま、とりあえず朝の支度を始めることにした。

(2009/03/14)