言霊人
06 そこに助かるモノがあるならば
夢を見てから幾日かが過ぎた。今日は、注文していた薬草を受け取りに行こうと、店から離れた街道を進んでいる。一人で歩いていると、あらゆる考え事が頭をめぐった。
『生まれたい』
あの夢の中で聞いた言葉が、今もの耳に残っていた。なんとなく、その声に助けを求められている様な気がする。けれど、声の存在が一体何であるのかさっぱりわからないは、何もできないままでいる。そうして、ただ焦燥感だけが募っていく。(いったい、何が私に――…)
「お姉ちゃん!」
声に驚いて振り返ると、街の子が、前を歩く姉らしき人に駆け寄っていった。その様子に目をとめたまま、また無意識に思考の中に戻っていく。バルサさんが最後にタンダのところを訪れたのはいつだと、タンダは言っていただろうか。思い出せない。原作の本のとおりに無事に話を進めるためには、自分は極力関わらない方がいい。はそう考えている。
あれこれ考えて歩いているうちに、目的の、薬草を扱っている問屋についた。店内では、店主がせわしなく動き回っていた。忙しそうな様子に、声を掛けては悪いような気がしながらも、控えめに声をかけた。
「薬膳処の者です。お忙しいところすみません。…何かあったんですか?」
声をかけられて初めての来店に気付いた店主は、驚きつつも、笑顔で応対してくれた。
「おお、薬膳処の子かい。いつもありがとうね」
そう言って、店主は店内を見回した。
「これは…いや、まあ、少し困ったことがあってねぇ。…実は、山の離宮にいらっしゃってる二ノ妃様が薬膳を御所望されたらしくて、ほとんどの薬草を役人たちが買い占めていってしまってね。急な品薄に、慌てて今、補充分を出していたところで」
「えっ…」
店主は大丈夫大丈夫、と言いながら店の奥に入って行った。困ったと言う割には予期せぬ大きな売り上げに上機嫌な店主の様子に、は思わず笑みをこぼした。店内を見渡せば、確かに店にはほとんど薬草が残っていなかった。いつもなら天井からぶら下がっている木の根や草花の束も、今日は無い。けれどやはり、薬草のあの独特な匂いは店自体に染み付いてしまっているのか、そこだけはいつもと変わりなかった。ゆったりと店内を見回しながらそんなことを考えていると、先ほど店の奥へ行った店主が、ハァブの旦那様が注文した品を、器用に包みながら出てきた。やはり未だに上機嫌である。
「急な買い占めとはいえ、嬉しい誤算ですよ。値段は通常の倍の値…二ノ妃さま万歳と言うところですか」
先ほどよりも素直なもの言いの店主に、は苦笑を返した。包みを受け取り、お代を払う。店主は上機嫌のまま、を丁寧に見送った。(「山の離宮」、「二ノ妃」―――本の通りなら、チャグムに精霊の卵が宿る日は近い…)逸る気持ちを、は懸命に抑えた。走ってもいないのに、少し息が切れた。自分の中の考えをまとめた時、は鳥肌が立つほどの感動を覚えた。(物語が動き始めた!)
本来なら、自分は物語の読者であり、見届けるだけの存在だった筈だ。その物語の中に、自分は今、存在しているのだ。その事実は、この上なくを興奮させた。けれど同時に、不安も芽生えた。自分というイレギュラーな要素が、物語に変化や影響を与えてはいないか、と。喜びの興奮と、一抹の不安。の心は、その2つに苛まれた。
不安とは恐ろしいモノだ。一度それに支配されると、なかなか逃れることができない。(私がいるせいで、本来ここにいるべき人がいたのに、消えてしまっていたとしたら…)不安に囚われてしまった瞬間から、は世界が怖くなった。掃除のために外へ出るのさえ躊躇う様になったばかりか、仕舞いには、店に誰かが入ってくるたびに肩をびくつかせるようになった。物語の中にいるという現実がこんなにも怖いものだとは、は夢にも思わなかった。(最初は、あんなに嬉しかったのに…)
薬草の受け取りの日から、数日が過ぎたある日のこと。ハァブの旦那様に、夕食を済ませてくる様に言われたは、いつも通り賄いをもらいに店の奥に行こうとした。しかし、店主はやさしく微笑みながら、ついて来なさい、と手招きをした。は首を傾げつつ、旦那様についていった。たどり着いた先は、一つの客室だった。店主は戸をあけて、に入るよう促した。不思議に思いつつも、おそるおそる室内に入る。すると予想外なことに、客室の中には、どんっ、と構えてくつろぐトロガイの姿があった。一体何事かとドギマギしていたは、ほっと息を吐き、肩の力を抜いた。
「遅い!」
トロガイが、相変わらずの迫力で言った。
「いやあ、すみません。では、私はこれで」
店主は慣れた様子でトロガイの苦情をさらりと受け流し、の背を押して室内に入れると、戸を閉めて去っていった。は、久しぶりに会うトロガイに笑みを向けた。そして、トロガイに促され、向かいに腰を落ち着けた。
「先生、お久しぶりです。今日は…もしかして、何か、わかったことでも?」
問いかけながら、は急須に茶葉をすくい入れた。
「相変わらず聡いな」
そんなを、トロガイはしばらくの間見つめた。(こやつが自ら、全てを話すとは思えんからな…)ひといきに呑んだ酒で喉を潤し、トロガイは話の口火を切った。
「以前、お前からもらった『ナユグの水』を覚えているか」
手元から視線を上げたは、頷いた。
「あれが、サグの…そこらにあるのと変わらん、ごく普通の水になっておった」
は動きを止め、トロガイの、大きな両の目を見つめた。の中で、何かがうずいた。
「気付いたのは半月ほど前だったかね」
トロガイは話しながら、指先で器用に箸を回した。そして、少しの間思案した後、ぴたりと箸を止めた。
「これまた少し前の話じゃがな。二ノ宮の皇子に『何か』が宿ったそうだ」
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
「二ノ妃が『山の離宮』に滞在しておった頃…今から一ヶ月くらい前か」
ドクンドクンドクン、と休むことを知らないかのような速さで心臓がはねる。
「…さて、どうやらお前さん、心当たりがあるようじゃないか」
は自身を落ち着かせようと、白湯の入った椀を手に取る。しかし、手が震えて、口までもっていくことができず、結局卓に戻す。そうして、わずかな沈黙が部屋を支配した。
「知らねば、何もできん」
促すように、トロガイは言葉を付け足した。は、震え続ける両の手を、膝の上で強く握りしめた。
(2009/04/22)