言霊人

08 この世界で生きていくということ

 一つのことが動き出すと、まるで組み合わされた歯車のように全てが動き出す。そんな現実を今、は実感していた。



 の奉公先であり、現在の住処でもあるこの店は、薬膳を扱う食事処である。店があるのは扇ノ中。したがって、客層は決まって中流階級以上の人々ということになる。半分以上の人が、常連客であったり、常連とまではいかずとも定期的に店に足を運んでくれる人ばかりだ。だからは、この店に出入りする大半のお客の顔と名前は把握しているのだ。そして今日、度々訪れる「アムスラン様」の予約が、昼に入っていた。時刻になって現れたのは普段の初老の男性ではなく、二十歳前後の二人の青年だった。二人を店に迎えた時、その顔ぶれを見て、は気付いた。記憶に間違いがなければ、この二人は「狩人」の「ジン」と「ヒョク」と呼ばれている存在だ。

 そしてこの「ジン」こそが、の忘れていたことを思い出させてくれた存在だ。彼らが「アムスラン」と名乗ったので、はまさかと思いながらも表情には出さず、『いつものアムスラン様』のお気に入りの席へと、二人を案内することにした。案内しながら、内心はこの上なく緊張していた。まさか、彼らが来るとは思っていなかったのだ。彼らは、この国の創世記に記されている、かの七人の武人の子孫だ。つまり、現在の『狩人』なのである。…もし、彼らに物語を――未来を知っていると知られてしまったら、どうなるのか…。そう考えて、自ら想像してしまった悲しい監禁生活に、はゾッとした。この緊張が不審に思われないかと内心、冷や汗をかいた。なんとか平常心を保って二人を席へ案内したは、一旦奥に戻っ茶を用意する。そして湯飲みを二つ、お盆にのせて、また先ほどの席へ向かった。物語の中を生きると決めたのだから、とにかくは今を楽しめるだけ楽しむつもりでいる。(せっかくあの『狩人』たちに会えたんだから、少しくらい話しかけてみてもバチは当たらない、よね…―?)――そんな好奇心が、臆病な自分の背中を押した。

「今日の『アムスラン様』は、お若くていらっしゃいますね」

 その言葉と茶を受け取った「ジン」は、あやうく湯飲みを落としそうになる。少年的な雰囲気が残っている小柄な青年――「ヒョク」と呼ばれるほうは、飲みかけていたお茶を噴出しかけた。軽くむせてから、ヒョクはジンをからかうように笑った。

「お前、普段そんなに老けてんのかよ」
「ふざけるな。…普段は、父上がよくここへ来ているらしい」

 表情には出さないものの、ジンは少しムッとした口調で答えた。そんな、思っていたよりも素直な気性のジンに、は内心こっそり笑った。

「はい、度々いらして下さいます」
「という事だ。分かったか、スヨウ」

 ふん、と腕組みをしたジンが言う。ヒョク――狩人の「六」である、スヨウと呼ばれたほうが、つまらないと言って肩をすくめた。もっとも、最初からからかい半分だったようだ。まったく…と、ジンは小さく溜息をこぼした。そして一段落つくと、二人はまだその場にいるに疑問を感じたのか、視線をよこした。視線を向けられたは、そこから二人の意図を汲み取ると、ここ四年間で手に入れた店仕様の笑みで応えた。

「…普段、アムスラン様は決まったものを注文されるのですが、お二方は、本日どうなさますか?」

 の問いに合点がいったジンは、スヨウにどうするかと尋ねた。しかしスヨウはどうでもいいのか、「知らねー」と適当に返す。困ったことに、この予約席はおもに常連によく使われる個室であり、メニューが壁に貼ってないのである。ジンが少し困ったように送ってきた視線を、は正確に受け取った。

「では、お二方にお尋ねさせていただきます。何か、健康でお困りなことはありませんか?例えば…食欲が無い、血流が悪い、胃の調子が悪い、といったような」

 二人は困ったように互いに視線を交わす。やはり、さすがは現役の『狩人』。目に見えた身体の不調はないらしい。またもは店仕様の笑顔で言った。

「でしたら、お二方とも健康なご様子ですし、一般的に滋養に良いものをお持ちいたしましょうか」
「なら、適当に頼む」
「承知いたしました」

 では、とは一礼してその席を立った。



 いつも店に来る『アムスラン様』は武人の家系の人間で、その中でも一廉の武人であると、も知っていた。しかしまさか、そのアムスラン様が――あの初老の紳士が、狩人だったとは思わなかった。そしてその息子である先ほどの彼が、現役の「ジン」なのである。は、落ち着いた雰囲気のアムスラン様が好きだった。店に入りたてで不慣れだったを、励ましながらやさしく見守ってくれた、良いお客様の一人だったのだ。そのため、彼が『狩人』だと知った今、そのショックは大きかった。この世界で生きていくならば、どこかで運命の線が交わるのは避けられないかもしれない、と――それは、とうにわかっていたことだ。故に、一度交わってしまったのならばと声を掛け、話をしてみるという大胆な行動に出られた。これで物語の展開がチョクチョク把握できるかもしれない…と、そんなことを考えていた。



「アムスラン様のお父上様にもよろしくお伝え下さいませ」

 そう言っては、二人を笑顔で見送った。どうやら満足してもらえたらしく、「また来る」と、嬉しい返事をくれた。それから一ヶ月のうちに、親子で一度、スヨウと二人で一度足を運んでくれるなどして、着実に常連になっていった。また、スヨウは「妊婦に何かよい物はないか」と愛妻家っぷりを披露するなど、驚きの一面も窺い知ることが出来た。(ちなみに、つわりには「トド草」という薬草がいいコトを教えておいた)はもう、当初の不安など忘れ、このささやかな接点を楽しんでいた。アニメでも原作でも深く語られなかった狩人たちの素顔。それを、自分はこの目でみることが出来るのだ。彼らは物語の中で『狩人』として生きていた。しかし実際にはそれだけではなく、ジンはアムスラン家の次男として、ヒョクは家族を愛してやまないラクスラン家の父親として、この世界に生きているのだ。



 あと何日かで経てば、夢を見たあの日から二ヶ月。すっかりこの世界での彼らとの接点を楽しむことに夢中になっている裏で、物語が急速に加速し始めていることに、は気づいていなかった。


(2009/05/31)