言霊人

10 彼らとて一人の人間

「――今日は泊まっていけ。明日、店まで送ろう」

 瞬時に言われたことが理解できず、は目を瞬いた。その間を、『男の家に泊まる』ことへの抵抗だと思い、タイガは焦った。

「あっ、いや…その、変な意味では無くて…父上も、家人も、家にいるから、」

 タイガの言葉に対して脳の処理がようやく追いついたは、気づけば、自分が思い至りもしなかった事まで気遣われていて、内心焦った。――とにかく、足を痛めた自分に残された選択肢は、もはや一つしかない。(……こ、これは、不可抗力。だよ、ね…?)――落ち着け、自分。

「…申し訳ございません、タイガ様。お言葉に甘えさせてもらってもよろしいでしょうか…!」

 端から見ても分かりやすく緊張しているの姿に、タイガはふと、柔らかく微笑んだ。それを承諾と受け取ったは何とか自分を落ち着けて、感謝の言葉とともに、深く頭を下げた。
「気にするな」というタイガの返答にも、心の中で再び礼を唱えておた。

「歩け…ないんだったな」

 歩けるかと問おうとして、タイガは自分で自分の言葉を否定した。少しでも歩けるのなら、この娘は自分の店までなんとしてでも帰っただろう。―――仕方がない。

「これを持ってくれるか。…人目は、忘れろ。そう多くは無い。…失礼」

 そう言ってに灯りを手渡すと、タイガはがその意味を理解する前に、を横抱きに抱え上げた。

「…ぇ………………え!?」

 あまりに突然な出来事に、の反応は遅れた。(こ、れって、いわゆる、『お姫様抱っこ』…!?)しかし、いまだかつてなく近くにあるタイガの横顔は、いたって真面目だった。は、自分が軽率な声を上げたことを後悔した。そしてその後は、居心地は悪そうな表情をするものの動けない自分を恨みつつ大人しくしていた。一方のタイガは、を苦もなく抱えたまま、家路に着いた。




 アムスラン家は、タイガの言葉通りわりと近くにあった。(ここ、結構頻繁に通る道のすぐ脇だ……)タイガたちが帰宅すると、一人の女中がそれを出迎えた。を抱えたタイガの姿に初めは驚いた様子だったが、タイガが手短に事情を話すと、すぐに手際よくのための部屋を用意し始めた。部屋が整うまでの間、通された客間でしばらく待っているよう指示された。その指示に従い、左足を冷やすためにと渡された、小さめの濡れた布巾を足首に乗せると、は客間を観察し始めた。(思ってたよりもすごいなぁ。さすが、貴族様の御屋敷……)アムスラン家の格式の高さに驚嘆していると、さほど経たないうちにタイガの父――店の常連の「アムスラン様」が、客間に現れた。タイガはその後ろに控えている。と目を合わせたアムスランは、が挨拶を述べるより早く、口を開いた。

「事情は聞きました。災難でしたな」

 久しぶりに見る、微笑を浮かべた紳士な老人に、はなぜだか安心し、そっと胸を撫で下ろした。目の前にいる彼が狩人である事実よりも、一人の人間として優しい対応をしてくれたことに、少し涙腺がゆるむ。それを、一度ゆっくりまばたきをすることで、なんとか堪えた。
そうして自分の気を鎮めてから、は、夜分遅く急に尋ねたこと、正座が出来ないため足を伸ばした状態での挨拶であることを詫びた。続けて、子息のタイガに助けてもらったこと、宿を一泊借りることへの感謝も丁寧に述べた。アムスランは、

「武人として――いや、人として当然の事をしたまで。助けになれて何よりだ」

 と、柔らかく返した。(アムスラン様とタイガ様…普段の、柔らかい雰囲気が似てる…やっぱり親子なんだなあ……)そうこうしているうちに、女中が、の部屋の仕度が整ったことを告げに来た。アムスランはを気遣う言葉を幾つか重ねてから、後ろに控えていたタイガに後を任せ、客間を辞していった。それを丁寧に見送ってから、残されたタイガと向き合った。

「今日は、本当にありがとうございました。タイガ様に助けていただかなかったら、どうなっていたか…」

 そんなの言葉を、タイガは片手を上げて制した。

「いや、先ほど父も言っていたように、当然の事をしたまでだ。通りすがりとはいえ、あのまま見過すわけにはいくまい」

 そう言って、軽く同意を求めるように笑ったタイガに、もつられて笑った。

「助けていただいただけでも十分なのに、泊まらせてもらうなんて…ご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ありません」

「気にするな。大したことではない。今は父上と俺と…数名の家人しか、この家にはいない。部屋はたくさん余っているんだ、遠慮しなくていい」
「それは…随分と、少ないですね」
「…まあ、俺自身も普段はほとんど近衛士として宮にいるから、あまり家にはいないしな」

 間が空かないうちに、一人の女中(どうやらさっきの人と同じ人のようだ)が入ってきて、手際良くの左足を固定し始めた。処置している間に、これは応急処置的な固定で明日しっかりとした手当てをする、とタイガから説明をうけた。そうして固定処置が終わると、は女中の手を借りながら立ち上がってみた。(凄い…ちょっとは痛いけど、でも、歩けないほどの痛みじゃなくなった……)試しに室内で何歩か歩いてみたが、特に問題は無かった。それを見たタイガは、の様子に安堵したのか、夜の挨拶を述べると、静かに部屋を出て行った。女中に案内された一室で、不思議な気持ちで一晩を過ごした。(まさか、狩人の家に泊まる日がくるなんて、夢にも思わなかったなあ…)



 ―――翌朝。昨晩言われた通り、今日は昨日よりもしっかりと左足首を固定された。あまりに見事な出来に、が女中を褒めたおしていると、その様子を見たアムスランが声を掛けてきた。

「我が一族は武人の家系。頻繁に怪我をするものだから、家人もみな手当てには慣れてましてな」

 そのまま申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、アムスランとタイガと一緒に、朝食をとらせてもらった。話していて、この人の良い二人が狩人である――つまり人を殺めてきた――ということが、とても信じられなかった。朝食の場で、は一宿一飯の礼を述べ、後日再び礼に訪れたいと言った。結局、杖を一本もらい、さらに女中に付き添ってもらったは、店への帰路についた。その帰路で、ようやく昨日店に連絡を入れていないことに気づき慌てたが、アムスラン家の方から昨日のうちに一報入れたと女中に告げられ、一先ず落ち着いた。店に着くと、店主と女将がとても心配した様子で待っていた。店主と女将は、女中によくよく礼を述べ、を保護してくれたアムスラン家への感謝とお詫びの慈薬の酒を、女中に託した。そして自身も、女中に世話になったことへの感謝を伝えた。

 は、奇縁に苦笑しつつも、ささやかにこの巡り合わせに感謝した。

(2009/07/15)