言霊人
13 そして瞬く
アムスランは、事実確認のために席を外した。必然的に、はタイガと一対一になってしまう。も困っていたが、怪我人である上に、まだ信用していない相手とこの場に残されてしまったタイガも、当然気まずかった。先ほどまでの沈黙も重たいものだったが、今はそれとはまた別種の空気の重さがあった。自然には俯き、膝の上で握り締めている己の拳をひたすら見つめた。すると、自分の視線の行き場を意識すればするほど、タイガが自分へ向けてくる視線が気になった。今、が視線を上げれば、二人の視線は確実に交わるだろう。(なんで、そんなに見てくるんだろう…)しかしもちろん、そんな心の声は相手に届かない。届かないが、間も無く沈黙は破られた。その視線はに注がれたまま。
「…俺たちが狩人であることは、いつから知っていたんだ?」
タイガの質問が、この静けさを紛らわすためのものではなく、狩人としての情報集めのため、そして彼自身の好奇心のために投げかけられたものだと、は知らない。しかし彼女にとって、会話をすることは、沈黙の中ずっと見つめられ続けるより遥かにマシだった。とはいえ、沈黙を破ったタイガの発言に、全く心構えをしていなかったは、反射的に「はいっ」と、答えにならない応えを返してしまった。
慌てて、タイガに対する答えを探す。
「えーっと……、」
に、タイガの瞳を見つめ返すだけの勇気は、まだ無い。しかし、少しでも前を向かなくてはと心がけ、タイガの左腕を見つめた。バルサとの闘いで折られてしまった、彼の左腕。
「…およそ二ヶ月ほど前、でしょうか。街を歩いていらしたタイガ様を、偶然お見かけしたときからです。けれどまさか、いつも贔屓にして下さっているアムスラン様のご子息とは、存じ上げておりませんでした」
タイガは意外そうな顔をした。
「…知らなかったのに、分かったのか」
今日、二度目の痛いところを突かれた。
「……〈狩人〉の『ジン』の姿を、私は『知っていた』…と、言いましょうか」
いまいち納得しきれないようだったが、タイガはふむ、と頷く。は、極力嘘をつかないようにしていた。一つ嘘をつけば、その嘘を守るためにまた嘘を重ねねばならず、その輪廻は小さい頃の経験で身にしみている。だから、いつかボロが出ないよう、嘘をつかない程度にごまかす他、道は無いと考えていた。しかし、嘘をついていないとはいえ、全てを話すことが出来ないことに、は罪悪感を感じていた。だから、心の中で謝る。(全てをお話しできなくて、本当にごめんなさい。
私は、多くのことをあなた方に隠している。〈狩人〉である、聡明なあなた様が、腑に落ちないのも当然です…)は心の声から、一呼吸置く。
「…ですから、アムスラン様の名でタイガ様が店にいらしたときは、本当に、驚きました」
それを聞いて「そうか」と、もう気がすんだらしいタイガは、ふっと力を抜いたように笑った。その時、今更ながら、はタイガが怪我人であることを思い出した。一人はっとして焦るに、タイガは視線を合わせる。
「もしかして、」
再び言葉を紡ぎだしたタイガに、は慌てて返事をした。
「――落ち着け。別に、獲って食ったりはしないから」
怖がらせないためか、気遣うようなその言葉は、不思議とを落ち着かせてくれた。正座しなおすを見て、タイガはゆったりと、思い出しながら語る。
「もしかして、二ヶ月ほど前、薬膳処の前を通った時、掃除をしながら俺をじっと見ていたのは、さんだったのか」
問いかけとも、彼自身への確認ともとれる言葉。
「は、い……」
やはりあの時、見つめていたことに気付かれていたか、とは恥じ入り、再び俯く。
「……あの時は、つい、驚いて。…失礼いたしました」
「気にしないでくれ」
消え入りそうな謝罪の言葉に、タイガは再び苦笑を浮かべた。けれど俯いたに、彼のその表情は見えていない。(見舞うはずの怪我人に、気遣われてるよ私……)そう思って、小さく溜息をついてから、残っているかも定かではない勇気を信じて、声をふり絞る。臆病な考えは、心の隅へと追いやった。
「あの、……」
なんとか顔を上げ、タイガを見る。
「どうした」
応える彼の声は、泣いていた時にかけられたものと同じくらい、優しい。は、ふいに思った。目の前の彼は、本来、〈狩人〉という役目など似合わないような、優しい人なのではないか、と。警戒をゆるめた彼の、この穏やかな気配が、それを物語っているような気がする。そう思うと、また涙腺が熱くなるのを感じた。その衝動を、ゆっくり眸を閉じることで、どうにか抑え込む。再び涙腺が緩んでしまったことで、このままジンと話し続けることに精神的限界を感じたは、ゆっくりと三つ指をついた。
「既にご迷惑をかけていることは存じておりますが、…私は他の室なり、廊下なり、指示された場所で大人しく控えます。ですからどうぞ、今一度お休みになって下さい。このまま話していては、タイガ様のお身体に障ります」
(今まで、こんなに丁寧に、心をこめて礼をとったことがあったかな…。…できるなら、小中と9年間通い続けた書道教室と、こちらの店での4年間の集大成を、今、ここで……!)
「――気にするな」
「――…へ?」
あまりにもあっけらかんとした返答に、は全力で挑んだ礼も忘れ、間の抜けた声とともに視線を上げてしまった。そんなの心境には微塵も気づかず、タイガは言葉を続ける。
「気にしなくていい。怪我は完治していないが、身体はもう十分に休めた。なんと言うか…暇なんだ。良ければ、今しばらく、話し相手になってくれないか」
タイガを見つめたまま、は、いまだかつてないほど目を瞬いた。(えっ……あれ、この人って、実は鬼畜?それとも、あえて空気読まない人?)困惑した表情で自分を見つめるタイガにも気づかず、はしばらく固まったままだった。
(2009/08/04)