言霊人
14 星々が囁きあう下で
は、気疲れから溜息をついた。引き留められてからしばらく、は店でのことについて聞かれ、その都度、答えられる範囲で答えた。嘘は、つきたくなかった。タイガの問いに必死に答えているとき、は自身が打った大博打のことなどすっかり忘れ、更には彼らが〈狩人〉であることに対する緊張も緩めていた。ここを訪ねたのは朝だったが、が彼の室を辞す頃には、陽は既に中天を過ぎようとしていた。
タイガがとの会話を打ち切ったのは、隣室に父の気配を感じたからであった。
「…父上」
隣室の、襖の向こうから現れたアムスランは、タイガの床の横に静かに腰を下ろした。
「うむ……全て、彼女の言った通りであったようだ」
「!…では、彼女は」
腕を組み、アムスランは神妙な面持ちで頷く。そうして「だが」と一旦言葉を止めてから、再び口を開きかけ、たがしかし、思い直したようにまた閉ざしてしまう。まるで何かを振り払うように頭を振ってから、彼は息子を見据えた。タイガは内心、少しばかり動揺していた。今までに見た事のない、先ほどの父の行動。常に威厳を保ちながらも、国を――帝を影ながら支えることに誇りを持ち、子を想う芯のある人だ。故にふと、真剣でありながら彼自身にも自信や確信が無い眼差しを向けられた時、焦った。(――何か怒られる訳でもないのに、何を動揺しているんだ、俺は)タイガは今まで感じたことの無いような不安に襲われた。そんなタイガをよそに、アムスランは再び口を開いた。
「……いや、気にするな。とにかく今は…まず、彼女を聖導師様に会わせねばならぬ。信じるも信じないも、我らが決めるべきではないだろう」
父の言葉に頷いたものの、聖導師にを会わせるべきではない、と――タイガの中の何かが、そう告げているような気がしていた。違和感や不安、疑い――様々なものがない交ぜになった己を落ち着けるために、彼は瞑想した。
近い内に、聖導師に謁見することになる―――がそれを聞いたのは、その翌日の夜だった。は驚いたものの、それもあるいはと覚悟していたため、比較的落ち着いた心境でいられた。――しかし、彼女に最大の驚きと衝撃を与える真実は、別のところで待ち構えていた。現在、表向きは「客人」として、は父子と共に夕餉を摂っていた。普通に歩いて食事をの席についたタイガに、は驚いた。身体はもう大丈夫なのか、と声をかければ「たまには動かないと、身体が鈍る」と肩をすくめたタイガに、心配はいらないと流された。
「私がこちらに滞在することを、薬膳処の旦那様方には、どの様に説明なされたのですか」
実はとても気になっていたことを、は口にした。それに対しアムスランは―――驚きの事実を、事も無げにあっさりと言った。
「ご心配には及びませんよ。あちらには、タイガがさんを気に入ったので、アムスラン家で召し抱えたいと伝えてあります」
はもちろんのこと、あまりにも突然告げられた事実に、タイガは飲んでいた吸い物でむせた。
「ち、父上…いくらなんでも、話が無理矢理すぎませんか。そんな理由で、果たして薬膳処の者が納得するか…」
「したのだ」
一発目の衝撃はタイガがむせこんだことで目が覚めるのが早かったも、二発目ではそうもいかず、瞬きすら忘れ、呆けた。驚きすぎて、声も出ない。驚きを隠せない若者2人を尻目に老人は続ける。
「さんの婚姻については、あちらも何かと気がかりであったそうでな。快く了承してくれたそうだ。貴女の荷物は後日、まとめて届けて下さるようだ」
先代の狩人ジンはそう言って、止めていた箸を動かし始めた。そんな中、箸を完全に止めたままの当事者2人は、思わず顔を見合わせた。は事態が呑み込めず、未だに混乱したまま。一方タイガは、眉を顰め、何か言おうとしたものの、何を思い直したのか、一人黙想に入ってしまった。数秒後、の思考はやっと現実に戻ったものの、自分には、この件に関する拒否権は皆無のような気がした。タイガは、少なくとも食事中に、この件に関して何も口にすることは無かった。
夕餉の後、雲の少ない空に月は明るく、数多の星が美しく輝いていた。は縁側に腰掛け空を眺めた。満天の星空にも、ここ数年で慣れた。けれど最初の頃は、毎日驚愕し、時には酔ったことさえあった。(――そういえば、〈星読み〉はこの国にとって、大切な仕事の一つだったよね……)今、彼女の手元に星読みのための資料など無い。星空を見上げ、己の内にある引き出しという引き出しを片っ端から調べてみる。渇ノ相、大聖導師、碑文、シュガ――はっとして、瞳の中に少しでも多くの星を捕らえようとするかのように、目を見開いた。脳裏に掠めた『シュガ』という青年は、ヤクーの言い伝えにも耳を傾ける非常に柔軟な思考の持ち主であったはずだと、わずかな希望が湧く。けれど自分の言動のせいで、シュガが自由に動けなくなってしまっては困る。膨らみかけた期待は、泡沫のごとく消えた。の目下最大の悩みは、いかにして大聖導師の前でウソをつかず、且つ『知っている』ことを信じてもらうか、だ。そのためにも、早く、事実確認に必要不可欠な本が手元に欲しくて、無意味とは理解しながらも、彼女は僅かな望みを託すかのように、夜空に流れ星を探した。
「夏とはいえ、あまり夜風にあたると身体が冷えてしまうぞ」
声の主は、タイガであった。言って、そのまま立ち去るのかと思えば、彼は何故か迷いなくの隣に腰を下ろした。
(2009/08/06)