言霊人
15 月に見届けられて
「百面相、なかなか見事なものだったぞ。悩んでいたかと思えば綻んで、…かと思えば沈んで、けれど夜空を見上げて真剣な顔をしてみたり」
の隣に腰かけるなり、そう苦笑したタイガに、は驚きと非難の声を上げた。
「…タイガ様!?全部見ていらしたんですか?……悪趣味ですよ…」
「悪かった」
けれど、そんな言葉とは裏腹に笑みを零しているタイガに、非難の声を上げていたはずのは、つられて笑みを浮かべた。その時ふと、の中に、違和感とも疑問ともとれる何かが浮かんだ。
そもそも、にとってタイガとの出会いはアニメである。その中で果たして、彼はこんなふうに笑っていただろうか。当たり前だが、主人公であるバルサ側からしてみれば彼ら狩人は敵。そこまで多くは描写されていなかった。最後は共闘こそしたものの、それでも、常にバルサ達と一定の距離を置く存在だったのだから、笑顔を表に出すような場面が無かったのは確かだ。けれど、今。目の前にいるタイガは、から見て、紳士で、とても優しい人だと思う。それとも、に対してタイガが見せる今の姿も、彼の一部にすぎないのだろうか。
アニメにも原作にも、タイガの精神の未熟さを表す部分があった。バルサに負け、チャグムを連れ去られた彼は今、当然悔しい思いを抱えているのだろうと思った。そこまで考えて、ははっとした。月が雲に隠され、あたりが少し暗くなる。それを、闇の支配が増したように感じたのは、の感情が負に向かったからではない。(彼は、こうなることを知っていて黙っていた私が、憎くないのだろうか――)はそう考えて、胸に何か冷たく重いものが刺さったような思いに襲われた。それは、気付いていはいけないものに気付いてしまったから。いや、気付きたくなかったものに気付いてしまったから、と表現した方が正しいだろうか。
「どうした」
また百面相をしているぞ、と言って、タイガは苦笑しながらの顔を覗き込んだ。は咄嗟に、ひっ…と喉で小さな悲鳴を上げた。少し腰を浮かせて、僅かに後ずさるに、タイガは顔をしかめた。としてはもっと後ろに下がりたかったのだが、緊張で堅くなった身体と、タイガの怪我を目にしたこととで、それは叶わなかった。の中に、再び罪悪感が溢れ出す。今朝、布団の上で身を起こしたタイガは、痛みに呻いていた。今だって、きっと痛む筈だ。は彼の苦痛を想い、表情を曇らせた。(私の心の痛みなんかよりも遥かに、タイガ様は……身体だけじゃない、きっと……心も)自分は今、どう思われているのだろうか。彼は今、どれほどの苦しみの中にいるのだろうか。
「タイガ様!」
言って、は口をきゅっと固く結び、唾液を飲み込んだ。そうして意を決したは、タイガの瞳を真っ直ぐ見つめ、言った。
「…タイガ様は、私が、憎くは、ないのですか」
視線の先のタイガの瞳は、揺れていた。
「タイガ様が、今、誰よりもお辛いのではありませんか…?」
何故、こんな質問をするのか、自分でも説明出来ない。ただ、どうしても、問わずにはいられなかった。タイガの苦しそうな表情が、怪我の痛みからくるだけのものではないと、思った。問われた彼は、何かに耐えるように瞳を閉ざし、首を左右に振りながら、口の中で何かを呟いた。けれど、にそれを聞き取ることは出来なかった。俯くタイガの姿を見ていられなくなったが彼から視線を外したのと、タイガが沈痛な声で呟いたのは、同時だった。
「貴方に、…俺の、何が……」
そして唐突に左肩をつかまれたは、タイガと真正面から向き合う形になる。布越しに伝わってくるタイガの手が、とても熱く感じられた。
「いや、貴方は全て知っている…分かっているのだったな」
少し、肩を掴む手の力は弱まったが、彼の独白は続く。
「ただ、」
再びぎゅっと力を込めて掴まれた肩は、少し痛い。痛いほどに意志を伝えてくる瞳が、の視線を捕らえて離さない。
「さんなら、分かってくれる気がした。頼む、貴方の知っていることを教えてくれ。嘘でも、俺は責めない。信じる、信じないは俺の判断だ。決して、貴方を悪者にだけはしないと誓う…!」
雲から解放された月が再び辺りを明るく照らし出し、は眩しさに目を細めた。(彼は、私が憎いとか、そんなのじゃなくて、……ただ、必死なんだ)月の光に目を慣らすように、幾度かまばたきした。それから、そっと自らの両手を、肩に置かれたタイガの手の上に重ねる。
「…全てをお教えすることは、出来ません」
のその言葉に、タイガは落胆の表情を隠さなかった。
「私は、聖導師様や皆様に信じてもらえない事よりも、私が話す事によって起こるはずの未来が嘘になってしまう事が、…それが、何より怖い」
自身の手が、恥ずかしいくらい震えているのが分かる。けれど同じくらい、タイガの手も震えている。熱いと思っていた彼の手は、重ねてみると、心地よい温かさだった。
「けれど、」
震える手を無視して、は言葉を続ける。
「…私に、出来得る限りの助言は、例えタイガ様に厭われるとしても、言わせていただきます」
その言葉にタイガは、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。そして、の瞳をまっすぐに見返す。
「…ならば俺は、…例え聖導師様が貴方を信じなかったとしても…貴方の言葉には必ず耳を傾けると、約束しよう」
いつの間にか、の胸に深く突き刺さっていたものは消え去り、かわりに、温かい何かが優しくその存在を主張していた。
(2009/08/24)