言霊人
16 偽りとは何か
ほっとしたせいか、今度は怪我の痛みにタイガは顔を歪めた。
「大丈夫ですか」
の問いに、タイガは全く説得力を持たない返事を一言しただけであった。苦痛を堪えて立ち上がり、を見下ろした。
「先ほども言ったが、あまり体を冷やすのは良くない。早く休まれよ……、とこんな俺に言われてもな」
タイガが自嘲気味な笑みを漏らす。
「はい。……おやすみなさいませ、タイガ様」
「ああ」
それだけ言うとタイガはくるちと背を向け、ゆったりとした足取りで自室へと帰っていった。そんなタイガをは彼が廊下を曲がり、見えなくなるまで見送った。彼の自室まで付き添っても良かったのだが、踏み出せない一歩がそこにあった。
聖導師に会うまでの数日間、は己に出来る最善のことを尽くそうと努力した。告げられた翌日に届いた自分の荷物から本を取り出し、何度も読み直す。それはの出した一つの答えを実現するには不可欠であった。出した答えとは、自信を持ち、慌てふためくことなく余裕を持ち、相手に付け入る隙を見せないことであった。はもう何回、開き直った自分を叱咤したか分からないほどであった。また、何もしないのは心苦しいと長い廊下の雑巾掛けを行い、時には仲良くなったアムスラン家の女中ユエの手伝いとして一緒に台所にも立ち、順調に家に馴染んでいった。そしては今、星ノ宮の一室にいた。室に入るところまではアムスランが付き添ったが、部屋からは一人となった。室内は暗かった。の周りにいくつかの灯台があるだけで、少し先は真っ暗である。一通りの室内観察が終わった頃、静かに扉の開く音共に二つの気配が入ってきた。は聖導師とシュガであろうと、見当をつけた。
「そなたが、か」
低く威厳のある声はどこか威圧的な感覚を人に覚えさせるものであった。
「はい」
は深くお辞儀した姿勢のまま答えた。周りにある明かりはから聖導師を見ることは出来ないが、聖導師からはよく見える状態にさせた。
「面をあげよ。単刀直入に聞く、なぜソナタは狩人を知り、また、狩人の衣に文が書かれていることを知っていたのか」
がすっと視線を上げ、声がした方を見上げれば数段高い位置と思われる闇の中に二つの白いものを見つけた。そちらを見ながらは答えることにした。
「知っているからでございます。何故と問われましても、私自身答えを持ってはおりません。己が内に持っていたのです」
今、彼女は予定通り本当のウソをついた、ただ一心に方便になることを祈りながら。
「ふむ、質問を変えるとしよう。そたなは、全てを話せば未来が変わると申したそうな。らば変わってしまった未来を知ることは出来んのか」
「出来ません。知った未来を言えば、また未来は変わりましょう。それは結局、未来を知らないことと一緒になります」
この時シュガは人知れず息を呑んだ。数段高いところにいる自分たちを、は臆することなくまっすぐ見上げていた。それだけではない、彼女は聖導師と凛とした声で対等に話し合っていたのだ。だからこそ、シュガはに違和感というよりも、異質な何かを覚えた。だが形を持たないそれは静寂の闇に姿を消した。
「あるほど、一理あることは確か。しかし、近い確定した未来を話せる価値は少なからずあるであろう」
この発言に同意を求められたのはシュガであり、彼は黙って頷いた。
「して、近いうちに起こることを申してみよ」
が一瞬詰まった。
「、あなた方の山狩りの後、短槍使いとチャグム皇子は青霧山脈に向かい、そこで谷の中へ消えてしまいます」
「すると皇子は亡くなると申すのか」
「これ以上、現在申し上げることは出来ません」
「ほう、ならば近々行う山狩りは無意味と」
シュガは鋭さを増したの瞳に一歩後ずさりそうになった。
「分かりません。ですが聖導師様、山狩りをやめてはなりません。私が一番恐れているのはそれです。山狩りがあったからこそ、青霧山脈に姿を現すのやもしれません」
一度はゆっくり息をはき、吸いなおす。
「小心者の私がどこまで勤めを果たせるか分かりませんが、この知っている未来を、確かに実現させることにあると思っております。ゆえに、反れそうになる未来が来たとき私が導きなおすためにいるのです」
しばらくの間があった。風の無いそこでは、火があまり揺るがない。
「小心者が導くとな」
吐き捨てられるように出された言葉は忌々しそうに、室内へ溶け込む。
「そなたの恐れは分かった。山狩りも止めぬ。今、そなたは狩人の家におったな」
「はい」
「ならばよい。必要なときに発言いたせ。伝えるべきことがあれば狩人を通じて、この者シュガに伝えよ」
聖導師はシュガに目配せをして、奥に消えていった。それを確認してから、シュガはの元まで足を運んだ。
「ついてこい」
未だお辞儀の姿勢を維持しているに声をかけ、外へ繋がる扉から一人出て行った。は大急ぎでシュガの後を追ったがすぐに追いついた。外の明るさに目が眩み、一瞬立ち止まった真横にシュガは佇んでいた。は不覚にも、男性にしてはあまりにも白い端正な横顔と、振り向き様に綺麗に靡いた長い銀髪に見とれた。まさしく彼は彼女の知る、アニメ通りの彼であった。
(2009/08/31)