言霊人

18 信じる者と

 翌日の夜。狩人の表の顔である宮での近衛士の仕事を終え帰宅したヒョクであるスヨウが、タイガの見舞いという名目でアムスラン家を訪ねた。スヨウが家を去ったあと、はタイガに呼ばれ彼の部屋にいた。タイガが懐から一通の手紙を差し出す。

「シュガ様からだ」

 礼を言い文を受け取ったに、タイガは一瞬顔を顰めた。の表情が強張ったのを、彼は見逃さなかったのだ。

「返事は俺に渡してくれれば良い。わかっているな」

 タイガの言葉に、は手紙に向けていた視線を上げ、タイガの目を見て頷いた。

「はい」

 タイガはその声に頷きかえすと、黙り込んだ。これ以上話すことも無かったのでは部屋をあとにした。

 タイガは心に決めていた。が話してくれるまでは、未来に起こることに関して自分から触れない―――と。「話せない」と断らせることで、彼女に今以上の心労を負わせたくなかった。タイガは軽く瞳を閉じて、今頃文を読んでいるだろうを思う。内容を伺い知ることのできない文の中継ぎを、自分はしてゆかなければならない。自ら話に触れないと決めておきながら、シュガとの文が気になった。けれどやはり、中継ぎにすぎない自分が立ち入ってはいけない事だとも理解している。だからこそ、なおさら遣る瀬無かった。そうやって考えていると、かつて感じたことのある懐かしくも不安定な衝動が身の内に湧き上がってきた気がした。今は亡き許婚の明るい笑顔が、彼の脳裏を掠めた。



 は歩き方に自分の心が表れないよう気をつけながら、与えられている部屋に戻った。文机の前に座り、届けられた文の封を切った。深呼吸をすることで、昂っている自分の心を落ち着かせる。彼女の手元にあるそれに指を滑らせれば、上質な紙の手触り。送り主の性格を現したように、丁寧に折りたたまれていた。(もう、あとには引けない)もう何度目になるかわからない、開き直りの分だけあるはずの覚悟を呼び起こし、文を広げた。



 夜更けに何気なく目を覚ましたタイガは、多少からだの不便さを感じながら気晴らしに自室を出た。気になって足を向けたの部屋には、未だに灯がともされていた。そのことに彼女の真剣さを感じて、無意識に笑みを浮かべる。未来を知りたくても決して知ることの無い自分と、未来を知りながら話すことの出来ない彼女とでは、どちらの方が辛か。ふとそんなことを考えかけ―――やめた。(意味の無いことを)愚かな思考を払うように軽く首を振り、タイガは自室へと踵を返した。



 翌朝。は案の定、寝不足気味の表情だった。朝食で顔を合わせたにタイガは話しかけた。

「眠そうな顔をしているぞ」

 尤もなことを言われ、言葉を返せない彼女をそのままに続ける。

「手紙の件だが、出来次第、ラクスラン家に昨日の礼として家人を向かわせる。書き終わったら俺に渡してくれればよい」
「わかりました。もう出来上がっていますので、後ほど届けに参りますね」
「ああ」

 食後、部屋で受け取ったのは昨晩彼女に渡された文より、倍以上も厚い。その厚みに言及することなくタイガは受け取った文を風呂敷に包み家人へ頼んだ。手に持ったときの彼女の文の重たさが気になった。




 からの文を受け取ったシュガは、すぐさま星読みでも限られた者しか入れない場所へ向かうと、人気が無いことを確認してから文を広げた。決して達筆とはいえない筆跡には、彼女らしさが感じられた。出だしは型通りの挨拶が並べられていたが、そんなものはシュガの求めているものではない。本題を求め、丁寧に読み進めていく。そうして、我が目を疑いたくなるような内容に息を呑んだ。

<<――聖導師様には申し上げませんでしたが、私の本当の務めは別にあると考えています。これを明かすのは、シュガ様ならばきっと心に留めてくださると、信じているからです。私の本当の務め―――それは、チャグム皇子を中心とした一連の出来事に、終局を告げることだと思っています。先を知っていながら話すことが出来ない身になど、意味はありません。たとえ人々がこの件を終わりにしたとしても、それが本当の終わりだとは思わないで下さい。どうかシュガ様だけでも、私が本当の終わりを告げるその時まで、諦めないでいただきたいのです。>>

 彼女の文字を追いながら、今いる密室を急に息苦しく感じ、額に汗がにじんできた。一度視線を上げ、文を頭の中で幾度も反復する。そして、至った考えにはっとして思わず口元を手で覆いながら、シュガは独語した。

「皇子が、お亡くなりに、なられる……いや、まさか…しかしそれだけでは、終わらないということ。だが……」

 考えたくも無い想像を打ち消すように瞳を閉じて、深く呼吸する。己の血が勢い良く身体をめぐる振動が、集中を掻き乱している。

<<私は時間的にも、空間的にも、遥か遠い国より参りました。右も左も分からなかったような私が今日までこの国で生きてこられたのは、困っている私に手をさしのべてくれた方々のおかげです。その方々の名は明かせませんが、彼らヤクーは、今でも自然と共に生きてきた時のことを記憶しています。ヨゴ人が遠い昔に忘れてしまった、とても大切なことも。この国の方々が切り捨てた部分にこそ、シュガ様の求めている答えが隠れています――>>

 シュガには不可解なことばかりだった。額をつたう汗をぬぐって、吐いた息は彼が思っていたのよりも重かった。やはりもう一度会い、直接問うべきか。けれども、彼女はこれ以上深く訊ねても答えてくれはしないだろう。今しばらく時が過ぎなければ、近い未来のことを明かすこともない。だがシュガには、彼女に会うことで何かを打破できるという確信めいたものがあった。そんな不確かな確信と、聖導師とは異なる手ごわさを持つ者と張り合えるのかという不安が、彼のなかで綯い交ぜになる。彼女が聖導師と対峙したときにみせた、力に屈せぬ覚悟を秘めた表情を思い出しながら、シュガは自らの思考に没頭した。



 タイガはスヨウが見舞いに来なかったことにほっとした。居た堪れない気持になることもない。チャグム皇子が消えてから、己の精神に余裕が欠けている事は自覚していた。しかし、そんな心も今は、助言を与えてくれるというの存在によって救われている。かの皇子の身に万が一のことが起こる前に、彼女が未来を告げてくれると信じて。

(2010/03/04)