言霊人
19 信じられていた者
山狩りが行われた。まだ完全には傷の癒えていないタイガも、夜のうちに家を出て行った。は、彼にとって過酷な出来事が起こるのを知っていながら、結局一言も告げなかった。彼は、裏切られたと私を恨むだろうか、なんてことは彼女の考えに一切なかった。目下、の思考はシュガに向いていた。彼は当然驚き、悲しみ、当惑するだろう。今は、それで良い。しかし、いずれ事が進んでいくにつれ、残された僅かな希望を彼自身で見つけ出し、確かなものにしていかなければならないのだ。(今、私に出来るだけのことはしたはず)今のに許されているのは、自分がこの世界にいることで未来が変わらぬよう祈ることだけだった。
タイガはその日、彼が崇敬してやまない第二皇子の死を知らされた。彼は絶望した。ケガで動けない我が身にか、それともにか、定かではない。青霧山脈の崖を落ちていき、毒霧の中に姿を消したというチャグム皇子を思うと、幼すぎる死と、あまりにも皇子に不相応な死に様に、悔恨の念は尽きない。こうして、『ジン』のみならず狩人たちは皆、バルサへの復讐さえも叶わないままに終わった。現在、ジンが仕えているのは帝であり、第二皇子ではない。それは彼自身分かっているものの、亡くしてしまったことへのショックは大きく、何事にも力が入りそうに無かった。帰宅し、水浴びをしてからそのまま床へついた。自らの気持ちの整理をしていると、一つの壁に行き当たった。今回のことを、になんと説明すればよいのか――。否、彼女はこの未来を知っていたのではないか。否否、やはり彼女は未来など分からず、ただそうと装っていただけなのか。自分は騙されていたのではないか?彼女は話してくれるといっていたのに、結局何一つ話をしてくれてはいない。
それともシュガ様や聖導師様には知識を伝え、他者へは口止めされているのか。
『私は、聖導師様や皆様に信じてもらえない事よりも、私が話す事によって起こるはずの未来が嘘になってしまう事が、…それが、何より怖い』
彼女の、冷え切っていた手の温度がじわりと思い出される。
『――嘘でも、俺は責めない。信じる、信じないは俺の判断だ。決して、貴方を悪者にだけはしないと誓う…!』
そうだ、自分はあの時誓ったはずだ。けれど、彼女がその誓いを信じられなかったのかもしれない。一度湧いてしまった猜疑心を拭うことは、容易ではない。だが、だからと言って彼女を責める権利を彼が持っているわけでもなく、タイガは、ただ己が内の葛藤を持て余すしかなかった。
チャグムの葬式が終わったら、シュガに文を出さなければならない。しかし、それよりも今最も重要なのは、朝食のときに顔を合わせなかったタイガと、話をすることである。彼は今日、休養のために一日家にいると聞いている。(そもそも、本来ならばあと数日は安静にしていなければならなかったはず…)体調が悪くなり起きられなかったのか、それともと顔を合わせづらい為か。もしくは、その両方か。前もって、ユエにタイガの様子を伺ってもらい、「今なら大丈夫」というよく分からないお墨付きを貰ってから、彼の部屋の前にたどり着いた。
「タイガ様、です。入ってもよろしいでしょうか」
問うてから、しばらくの間を置いて許可が出た。は、普段通りに彼の部屋へ入っていった。それに対し、緊張し明らかに身構えたのはタイガのほうであった。
「お加減は宜しいのですか」
「ああ」
布団は片付けられ、文机に向かっていたタイガはの方に向きなおって、硬い表情で答えた。
「それは良かったです。……単刀直入に聞かせていただきます。
チャグム皇子および女用心棒バルサは狼に襲われ、青霧山脈の谷底、毒霧の中へ消えた。それ以上の追跡もかなわず、追跡を終えざるを得なかった。……合っていますでしょうか」
タイガは目を見開き、息を呑んだ。もはや彼はが何を考えているのか、皆目見当がつかない。
「…タイガ様、本当の戦いはこれからです」
「…だが、チャグム皇子は亡くなられた。それで全て終わったのだ」
口早にタイガが言い返した。それを、は首を横に振って否定する。
「夏至が過ぎた頃、大雨が降ります。その日、……サグム殿下が亡くなられます」
またも皇子が亡くなるという予言に、タイガは二の句が継げない。
「ですが、私はこれをシュガ様や聖導師様には告げません。…未来を変えられては、困りますから」
「皇子様方の死よりも大事なのか、その未来とやらは!」
声を荒げたタイガに、は一旦口をきゅっと閉じる。けれど決意を込めた瞳でタイガを見返し、断言した。
「……はい」
彼の顔は失望で塗り固められた。
「…タイガ様、」
「俺の、名を呼ぶな!もう…出て行け!」
タイガは腕を振り、拒絶を全身で表した。ここまでだった。これ以上はもう、話が出来ないと悟ったは、深く一礼すると、彼の部屋を後にした。
(嗚呼もう!もっと言い方はあったはずなのに、…私は……)
(2010/03/29)