言霊人

20 後悔の後の後悔

 チャグム皇子の訃報に、大きな衝撃を受けたのはタイガだけではなかった。市井にとってももちろん悲しいことである。しかし、彼らにとってはしょせん雲の上のことでしかない。皇太子がいるのだから、その程度である。ならば誰か。帝、二ノ妃、サグム、聖導師、星読、宮仕え、そして若き星読博士であり、かの皇子のカシヅキであったシュガもその一人である。シュガは報告を受けたとき、頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じ、一歩、後ろによろめいた。

「ま、さか……」

 思わず言葉が漏れたことにも気付かないほど、彼はうろたえた。二ノ妃に自分が余計なことを言ったせいで、皇子をこんな無残かたちで死なせてしまったのか。表向きには先日の出火で亡くなった事になっているため、この真実が後に残らないだけでも幸いなのか、もはや何も分からない。

『――たとえ人々がこの件を終わりにしたとしても、それが本当の終わりだとは思わないで下さい。』

 ふいに、からの手紙が脳裏に浮かぶ。

「終わりでは、ない?…だが……」

 私にとっては終わったのも同然だ、という言葉は脱力のあまり最後まで声にならず、息と共に宙に霧散していく。シュガ様、と呼ばれる声さえ彼には遠い所での出来事に感じられた。



 チャグムの葬式が終わり、タイガの怪我がだいぶ癒える頃まで、とタイガはろくに話をしなかった。その後も、食事のとき、顔を合わせれば当たり障りの無いことばかり話し、どこかよそよそしい。父であるアムスラン家当主は、この件について、あえて言及しない素振りを見せているため、家人たちもこの二人の間を取り持つようなことはしなかった。当のは、タイガと再びちゃんと向き合って話をするために、幾度も彼の部屋へ足を運んでいた。しかし、毎回見事なまでにかわされ、空振りに終わってばかりなのである。いっそ、タイガにも文を書き、彼の机の上においておけば読んでもらえるのではないかとも考えたが、やはり直接会って話をしなければ意味がない、と諦めた。何より返事や反応が無かったとき、完全に行き詰ってしまうことが怖かった。ついでにその頃、タンダから貰った簪が折れ、初めての給金で自分のために買った飾り玉のついた髪結いの紐は切れ、続けざまに色々なものに見放されて、手こずり落ち込みかけていた。(もはや運すらも尽きたか……)



 そろそろシュガに手紙を渡さなければと思っていた頃、事は少し変わった。近衛士の仕事を終え、帰宅したタイガがの部屋を訪れたのである。突然の来訪に戸惑いながらも、彼に誘われるまま、いつかの様に縁側に腰掛けた。しばし無言であったタイガが、そのうちぽつぽつと語りだした。

「…今日、刀鍛冶に、名刀とは何かと問われた」

 タイガの視線は地面を見つめたままで、隣に座るから月明かりの影で彼の表情は分からない。

「刀鍛冶の翁は、人を斬らず、ただ人の業だけを断ち切る刀だと言った」

 ふう、とタイガが吐いた息は溜息交じりであった。

「…本当の名刀は、持つものによって決まる。だが俺は、まだまだのようだ」

 ゆっくりと持ち上げられた視線は空へ向かい、月と星々に照らされた瞳はどこか遠くを見つめている。

「…俺は未熟だ」

 ハッキリと発した言葉には力が込められていた。が彼の表情を見つめていると、ふと目が合った。だが、その瞳はすぐさま伏せられてしまった。

「…この間は、すまなかった――」

 彼の静かな謝罪がの胸に響いた。ぐっと込み上がってくる感情と一緒に『私の言い方が悪かった』という言葉が自然と浮かんでくる。(私も、謝らなければ)が口を開こうとした瞬間、彼は続けた。

「貴女は何も悪くなかった。話そうとしてくれたのに、聞かなかったのは俺だ」
「違います!」

 は思わず叫んでいた。

「…違わない。さんが俺を信じられず、話せなかったのは当然。仕方の無いことだった」

 自嘲気味なタイガの言葉には堪えられず、しかし俯き首を横に振るしかない。タイガの自責に過去の自分が思い出される。未来を知っていることに高揚し、浮かれていたときもあった。一方知らない世界に投げ出された自身を哀れみ、家にどうしようもない程帰りたくなったのに、決して帰らせてくれないこの世界を恨んだこともあった。話したいときに未来を語ることもできず、もどかしく感じる事も多い。けれども、やはり自分は未来を知っているのだ。それは自分だけ知っているという優越感にも繋がる。どうのこうの悩んでも事の顛末が見えている自分は、ただ待っていれば良いということも知っている。(そう、それは既に終わりを知っているから落ち着いて見ていられる映画と同じ)しかし、何も知らない彼らはどうであろう。自ら動き、先の分からぬ不安の中、懸命に生きていかなければならない。そんななか、身近に『未来を知る』人間が現れたら…―――きっと自分なら、己の無力さとその未来を知る人間の存在に、無性に腹が立つだろう。そして大切な人の死を知りながら、防ごうとしてくれなかった人間を、許せないに違いない。(私は、こんなに真っ直ぐな人に、こうも酷いことをしている…)

(2010/05/19)