通り雨

往 3

掴まるでござる、そう言って手を差し出してくれた人はよく分からない人だった。つい先ほどまでは自分に向けていた槍を持っていた手にも関わらず、心配してくれる様子に違和感は無く、思わず躊躇無くその手を握り返してしまった。



「だ、大丈夫でござるか」

年齢の割に逞しい手によって引き上げられたは張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、服が泥だらけになるのも構わずへたり込んだ。

(何がなんだかもう、……家に帰りたい)

一体どれだけの時間を呆然としたまま雨に打たれて過ごしていたのかは定かではない、後で彼に聞いたところ大した時間ではなかったと笑って言ってくれたのを信じるしかない。と、それくらいの時間が経ったときははたと気がついた。自分の両手は地面についている、手に持っていなければならない物が無いことに血の気が引いていくのが分かった。慌てて四つん這いのまま先ほど落ちた場所へ目を向ければ、そのもっと下方の木に麦藁帽子が引っかかっているのを見つけて泣きたくなる。

「どどどどどどうしたのでござる!どこか痛いのでは!」

は下を向いたまま黙って首を振った。
身を乗り出したの姿勢を危ぶんだのか、いつの間にか手が肩に添えられていた。泣くのを必死に堪えるも、目蓋が熱くなるのも、肩が小刻みに震えるのも防げなかった。腹の底から一度ゆっくり息を吐いて、吸った。

「大丈夫です。ちょっと、ショックだったので……」
「……しょっくとは何のことでござる」
「えっ、」

思いがけない質問にが振り返った。真摯さを感じさせる表情には目を見張り、戸惑いが湧き上がってくるも泣きたい気持ちと飲み込んだ。

「その、落ちたときに又従妹の、帽子を落っことしてしまって、アハハ困った」

行動を理解したのか、と同じように身を乗り出して下を覗いて彼は頷いた。

「あの、麦の色をした丸いものを帽子というのでござるな。なれば某が取って参るのでしばし待たれよ」
「ちょっ、その危ないんでって……聞いていない」

そう言って赤い人はの話を聞かずに木の根元や幹を上手く使い身軽な動作で帽子のところまで降りて行き、何事も無く取って戻ってきた。驚くことの連続では口をパクパクと開けたり閉めたりするばかりでなかなか上手く声が出ない。

「……あっ、とえっと、……ありがとうございます」

礼には及ばぬ、と爽やかな顔立ちに似合った笑顔で帽子をに渡した。

「気がつかなかったでござる、雨が止んでおったとは」
「……そういえば」

そうだ!と声を張り上げた赤い人がと同じように地面に腰を下ろして手をついた。目線の高さが一致し、自然と見詰め合ったのも一瞬、瞳は突然消えた。
彼が頭を下げたのである。

「某、あまりにも突然のことであったとはいえ、丸腰の人間ましてや女子(おなご)に刃を向けるなど言語道断。まことに相済まない!」

は本日何度目かの困惑した表情を浮かべた。確かに槍を向けられたことには驚き恐怖を感じた、だがしかし同時に落ちたところを引き上げてくれたのも、諦めた帽子を拾ってきてくれたのも彼である。つられても頭を下げる。

「とんでもないです、こちらこそなんか急に現れて迷惑かけたのに、助けていただいてありがとうございます。あ、の、頭を上げてください。じゃないと私が居た堪れません」
「うっ……しかし!」
「しかしもかかしも無しです」

カエルが潰れかけたような微妙な声と唸り声がしてからちょっとして、赤い人は頭を上げた。は目の前の少年から青年に差し掛かった彼を注視した。話し方があまりにも時代掛かっている上、堂々と二本の槍を持ち歩くのは常識的に考えておかしい。しかしその割に着ている物は妙というべきか、ハイセンスと言うべきか。顔立ちは綺麗に整い女子受けが良さそうである。何を着てもモテるのかもしれない。ふと彼が頬を染めながら目を横に逸らして、不躾に見すぎたことには気がついた。

「あ、ごめんなさい……」
「……そっ、某は!」

話を変えようとしたのか、彼が声を張り上げた。

「某の、名は真田幸村、」
「真田!?」

真田幸村と名乗った赤い人に負けないくらいの大きな声でが叫んだ。



(まさか本当に真田家の人だったとは……てか、え、あれ、その名前って)



2012/12/24