通り雨
往 4
家というよりも屋敷という表現がしっくりしそうな陣内本家があるはずだった場所には、決して華美とはお世辞でも言えない質素な山城があった。周りに見える山並みにほとんど変わりない。けれどもあたり一面に広がるべき風景はが息を呑み吐き出すのを忘れかけるほど変わっていた――。
内心やけくそになって開き直ったは今、その戸石城と呼ばれる山城の一室にいる。濡れ鼠と言われても反論出来ない状態だったはとりあえず、部屋と着替えとして薄手の着物、そして泥のついた身体を清めるための水と手ぬぐいを与えられた。風呂に入れれば一番だがわがままを言える立場にあるはずも無く、身体が綺麗になれただけでもと言い聞かせて満足した。また雨で冷え切っていた身体に乾いた着物は袖を通しただけでも心地よかった。
「ふーん、ちゃんだっけ?見たことの無い布地に作り、ちゃんどこの人?」
が人心地ついたときだった、あまりそう遠くないところから親しげに名前を呼ばれて心臓が飛び跳ねた。恐る恐る視線をやれば迷彩服のお兄さんがの濡れた洋服を物色しているところであった。
「なっなっなにやってるんですか?!え、て、あのいつからそこに……」
「んーさっきから。なにって、ちゃんのこと調べてるの」
「さっきから……」
座り込みたい衝動と、今すぐ男の元へ行って調査を阻止した衝動に駆られるも自分の姿を思い出してなんとか踏みとどまった。
(着物に袖を通して前をあわせただけの状態なんですが……)
は肩の力を抜いて嘆息をもらした。頭を振り、二つの衝動を払ってから現状を打破すべく帯を手にとってみたものの、この先どうすれば良いのか全く分からないことに気がついた。腰紐と思われるものをみつけて一先ず前を固定するためにもと巻いて適当に結んでみるもののしっくりこない。
「……もしかして着物の着方が分からない?」
視線を上げれば2・3歩前に迷彩服の男が仁王立ちしていた。図星と着替えをしっかり見られていることに羞恥心を覚えてはうっと声を詰まらせた。それを察したのか彼は黙ってに近づき腰紐の結び目を解いた。手馴れた手つきで着物のズレを直し正しい結び方で固定をしたところで、彼はこれ見よがしに溜息をついた。
「俺様が着付けてあげるから大人しくして」
「あ、はい。ありがとうございます……」
無駄の無い動きでシンプルな柄のついた着物をに羽織らせ、着々と着付けていく。丁寧とは言いがたいが乱暴というわけではない。はされるがままに大人しく従うしかない。他人に近づかれて緊張し身体が強張るが、自分にはどうしようも無いのだからと諦めて心臓に落ち着くよう諭す。もう一本の腰紐を結ぶためちょうど前から抱きしめられるような形になったとき、彼の動きがピタリと止まった。
「……ちゃん知ってる?俺様ならちゃんくらい簡単に殺せるんだけど」
親戚以外の男性にこれほど近づかれたことは無い。低く魅力的であるものの危険を感じる声にゾクリと背筋にくすぐったいような、逃げ出したくなる何かが走った。じわじわと迫ってくる重い雰囲気と静かな部屋にはごくりと唾を飲む。
「ねえ、「殿!」
お兄さんの声を遮るように、幸村の声が障子越しに飛び込んできた。その瞬間、お兄さんは雰囲気をガラッと親しげなものに変え、はぁー……と腹の底から出したような重たい溜息を吐き出した。
「何かお困りのことはござらぬか」
「旦那、俺様が手伝ってるから問題無いよ」
「佐助!?なぜ、佐助がおるのだ!」
スパーン!と障子が勢い良くスライドする小気味良い音と声が一緒に飛び込んできた。はビクッと驚きで身体を硬直させ、佐助と呼ばれたお兄さんはあららーと気の抜けた様子で呟いた。しかしそれは一瞬のことで、が着替え途中であり、それを佐助が手伝っているのを把握したのか幸村の顔は一瞬で真っ赤に染まった。
「はははは破廉恥でござるー!」
次の瞬間に幸村は障子を閉めることなくそこから脱兎の如く走り去っていった。
「えっと……賑やかですね」
「いつものことだから」
ちなみにこのまま着付けと一緒に、手当てまでしていただいてしまった。
2012/12/24