通り雨

往 5

着付けを終えてから幸村をなんとかなだめ三人で話をした。幸村との話から推測するには『神隠し』が有力ではないかということで落ち着いた。未来から来たこと、史実から若干の誤差があることをは必死に伏せて、遠くから来たことにしておいた。幸村も佐助もが何かを隠していることには気がついていたが、突然現れたことには変わりなく矛盾もこれといって生じていないために深く聞かなかった。そしてこの話を聞いた信玄が興味を持ち、しばらくこの山城にが留まることになったのは数日前の事。



佐助に着付けの基礎を叩き込まれ、自分でもそれなりに着れる様になったのは良いもののは暇を持て余していた。真緒の麦藁帽子を綺麗にする作業もいささか飽きてきた。

(んー、この飽きっぽい性格は良くないと分かっているんだがなあ)

立場上、城の中をうろうろするわけにもいかず、あの日与えられた室とその前の廊下が基本的にの行動範囲となっていた。一日に最低でも一度は幸村と佐助が顔を見せに来てくれるが、他は暇なのである。今日という日も変わることなく、暇を持て余している時だった。



突然の信玄訪問に城の誰もが驚いたことだろう。
幸村に呼び出され話を聞いたは開いた口が塞がらない状態になりかけたが、佐助に指摘され間抜け面は回避できた。広間で対面してすぐ、信玄は幸村や佐助すらも人払いをしと向き合った。

「そなたの話は幸村から聞いた。突然すまなかったな、だが一度でよいから会っておきたかったのだ」

とりあえずデカイ、信玄の第一印象がの中でまだぐるぐるしていたが彼は構わず続けた。

「そう怯えるな。確かに神隠しにあい、気がついたら知らぬ存ぜぬ世界では誰もが警戒するであろう。……わしはな、昔そなたと似た境遇の娘に会ったことがあるのだ」
「え、」
「素直な瞳だな。面白いくらい驚いておるぞ」

信玄が愉快そうに目を細めた。

「もしかして彼女ではないかと思ったのだが、違ったわ。だがそれで良いのかもしれん。異国の空より来た娘よ、年寄りの昔話に付き合う気はあるか?」

は静かに頷いた。

――まだ信玄が幼かった頃、一人の奇妙な形の女人が雨上がりの山で迷っているところに出会った。
場所や時を尋ねられ答えてみれば、その女人は訝しげに眉を顰めた。質の良い布で作られた着物に膝下より少し長いくらいの微妙な長さの袴を着けているも、泥だらけで何事かあったと見受けられた。不安に瞳が時折揺れるも、しっかり相手を見据えて話す姿は凛々しく良家の出身であることが伺えた。
興味を抱いた当時の信玄は詳しい話を聞いてみた。
最初こそなぜこの場にいるのかという内容だったが、話は弾み町並み服装、商い、政と多岐に渡った。見せてもらった『懐中時計』という時を刻むカラクリには本当に驚き、文化は似ているが文明の発展具合が全く違う彼女の国と、しっかりと自分の考えを持った彼女に信玄は感銘を受けた。
気がつけば時間は恐ろしいほど早く経っていった。
もっと話を聞きたかった信玄は己の身分を明かし、怪しいものではないと証明するや否や彼女は平伏した。先ほどまで楽しく話していたのに急に距離が出来たようで悲しかったが信玄は気にせず、城に来るよう勧めた。遠慮することは無い、と話しているうちに雨は降り出し場所を移動している際、運悪く懐中時計が泥だらけの地面に落ちてしまった。それを拾い上げ袖で泥を拭い終えたころ、彼女は姿を消していた。慌てて探したものの足跡も気配も何も残っていなかった。
そしてこれが、その時の懐中時計である――

に見せられた懐中時計は酷く古びてボロボロだった。刃物か何かがかすったのではないかと思われる傷も多く見受けられた。

「あれから肌身離さずいつも持っておったわ。いつ彼女に出会え返せるか分からぬからな」

は瞬いた。信玄の話に出てきた『彼女』は一日の内に帰ったらしいが、どうやらの神隠しと状況が似ているらしい。雨の日に、山で、気がついたら、場所が変わっていた。まして懐中時計という未来の品まで証拠にある。あくまでも似ているだけではあるがにとっては十分な希望となった。

「では私も一先ず次の雨を待ってみることにします」

が話をしてくれた感謝をこめて微笑み、お辞儀した。信玄は満足そうに頷き、茶目っ気を含んだ表情を浮かべた。

「なに焦ることはあるまい。この話あの後、家の者に話したが全く信じて貰えなくてな。
だが墓まで持っていくにはちと惜しい、ずっと誰かに聞いて欲しかったのだ。不用意に話すわけにもいかず、そなたが丁度良かった」
「それは良かったです」
「……そなた、少し似ているな。そちらの世界とやらは皆そんな雰囲気を纏っているのか」
「まさか!……その懐中時計、少し見せてもらってもいいですか?」

信玄が差し出した懐中時計をは丁寧に受け取った。大きい傷のほかにも細かい傷が数え切れないほどついていたが、大事にされていたのであろう鈍い金属独特の光沢は失われていなかった。裏面に読み取るのが困難な状態になっているがいくつか文字が書いてあった。角度を変えて見るも輪郭がぼやけて読めそうに無い。

「そこには異国の文字で名前が書いてあったのだが、薄くなってしまったのだ」
「なんて名前だったんですか」
「栄と言っていた。陣内栄とな。最初は家臣の一族の者かと思ったが違ったらしい」

は勢い良く懐中時計から顔を上げた。

「それ、曾祖母です。私の曾祖母の名前は、陣内栄です」
「なんと!」

信玄が豪快に笑い出し、迫力では吹き飛ばされるのかと思った。

「なんと、なんと!それは愉快じゃ!そなたは栄の曾孫であったか……しかし、もうそんな歳か」
「えーっと、今年八十八です」
「ふむ……、だが70年も80年もあれから経ってはおらぬ。時の流れが違うのかもしれぬな」

の心に一瞬冷たくドキリとするものが通り過ぎたが、今心配しても埒の明かない事と見過ごした。栄おばあちゃんもこの世界に来ていた、その事実だけが脳内で幾度も木霊した。



2013/01/04