私的まほろば
巡り会い 5
「それでは、私はそろそろお暇させて頂きます。長い時間、お邪魔致しました」
姿勢を正して少し深めにお辞儀をした。
「もうこんな時間でしたか。また、是非いらして下さい。時間を持て余している身です、いつでも碁をお教え致しましょう」
「ありがとうございます」
とりあえず囲碁界での凄い人である行洋さんから教えてもらえるのなら、碁をやってみるのも悪くないかもしれない。おっ、物語の終わりにはいい感じになってきたぞー、と気を抜いたのがいけなかった。理一おじさんに昔言われたではないか。
『家に帰るまでが仕事である』と。
「さんはどちらまでお帰りで」
「今日の内に長野まで帰る予定です」
「大変じゃないですかァ。電車なら駅まで送ってってあげたらどうですか、緒方さん」
「そうだな。さん、送りますよ」
「あ、お気遣いなく。王子様が迎えに来ますので」
(…あうち!やっちまったぜ、自分の馬鹿野郎!)
こんなに自分の笑顔が引き攣っているのが分かったのは、初めてだ。行洋さん、アキラ君、緒方さんはポカンとしちゃったし、芦原さんはお腹を抱えて遠慮なく大爆笑している。穴があるなら入りたい、もはやさっき自分で掘った墓穴でいいから入りたい。いっそのこと、そこにある灯篭の兄弟に成りたい。背中に、嫌な汗が垂れるのが伝わってくる。気を抜きそうになっていたのは分かっていた。だからこそ気を引き締めるべきだったのに、迂闊だった…。行洋さんの笑顔がおばあちゃんと被ってしまったために『王子様』(一番恥ずかしい)ネタを使ってしまうとは。なんでここで被っていた猫は逃げ出すんだ、あんまりすぎる。慌てるのは良くないってのはこういうことになるからだ、というのを私はお手本通りにやってしまった。
「おーじさ…叔父様ですよ!断じて王子様なんて、言ってない…です……よ」
助けを求めて行洋さんを見つめるが、下を向いてしまって沈黙を守っている。いささか気になるのは、肩が小刻みに震えていること。(…ごめんなさい、おばあちゃん)行洋さんの後ろでは畳の上を転げまわっていた芦原さんがいまだに絶賛爆笑中。碁盤を叩いている辺り、こっちが頭を碁盤にぶつけて全てを無かったことにしたいくらいだ。そこでハッとして顔を上げると、緒方さんとがっちり目が合ってしまった。そしてすぐさま、あからさま過ぎるくらい早く視線を外した。緒方さんの瞳がとても愉しそうで危険な気がしたが、もう遅い。
「さん、やはり少し出来すぎてるコだと思ってたんだ」
「え…どういうことですか、緒方さん」
「アキラ君、キミも出来すぎてるくらい、いい子だからなあ。俺としては、彼女くらいのボロがあってもいいと思うぜ」
「ボロって、出したくて出すものではないでしょう。…芦原さん、笑いすぎですよ」
「んな、アキラだって一生懸命笑いを堪えてるくせに!」
「こ、っこらえてません」
…完璧に私は放置である。
あれか、台風の中心は穏やか的な現象。もう逆に下手な言い訳は出来ない状態まで来ているのは確かである。行洋さんも若干というのかやっぱり、あの顔は笑いを堪えている感じじゃないっすかね、ぱっと見は渋い顔してますけど。もはや固まるしかない私を面白く思ったのか、不敵すぎる光をめがねに湛えた緒方さんが絡んできた。
「まあさんだって、年頃の女性だしな。王子様ってことは彼氏か?」
私の中で、おばあちゃんの言う神の一手が見えた気がする(激しく大げさ)。まさかラスボスが緒方さんだったとは衝撃だが、こっちにだって必殺技・開き直りは残っている。やはり攻略が簡単すぎたのだ、技は出し惜しみするに限る。きっと私は勝ち誇った笑みを浮かべたのだろう、緒方さんに一瞬動揺が走ったのが分かった。
「惜しいです!本当に、叔父でした」
「お、おしいって……!」
芦原さんが本当にお腹を抱えて、涙をぬぐいながらさらに大笑いしている。そんな彼にアキラ君が真剣に、「惜しい……、今のって惜しかったんですか?」なんて聞いてるもんだから、「真顔で聞かないでくれよ、アキラ」と、もはや笑いすぎで呼吸が苦しそうである。
「どこも惜しくないじゃないか」
「叔父といいますか、まあ、父の従弟にあたる方なんですが、私の中では永遠の王子様なんです」
えへへ、と頭を掻いて照れた様に笑えば、打つ手が無くなったのか緒方さんはあっけなく投了した。結局、門で見送るときまで行洋さんが黙りこんでしまったのは、この際……スルーでしょう。気がついたら、芦原さんに異様に気に入られていたのはいいとしよう。
(えっと、あの交差点に王子様が迎えに来てくれるんで、大丈夫です)
(王子様が本当にいるとは思ってませんでした)
(アキラ、だから違うって……。あー、面白い!)
(……芦原、笑いすぎだ)
2010/03/23