私的まほろば

さあ、始めるとしようか

「あー、気持ちいい……暇って素晴らしい」

佳主馬の部屋となっている納戸に扇風機を持っていったあと、目の前の縁側で大の字になり寛ぐ。風が自分の上をさわやかに通り過ぎていくのを全身で感じる。既に佳主馬はノートパソコンを立ち上げ、なにやらカチャカチャ打ち込んでいる。私なんかよりも遥かに働き者である。縁側の日陰の存在を夏ほど感謝するときは無い。床が自分の体温で暖かくなってきたら冷たい場所を求めて寝返りを打って移動すればいい。目を閉じて音だけに集中すると、タイピング音だけでなく、遠くの風鈴、獅子脅し、低く唸るような洗濯機の音まで聞こえてくる。あまりに心地よくて、これ以上目を閉じていたら寝てしまいそうだ。でもさすがにここで寝たら身体が冷えてしまうから、昼寝するならば場所を変えなければ。第一、万里子おばさんに見つかったらはしたないって怒られてしまう。それに私の大好きを運んできてくれる音がしない。また目を閉じて、耳を澄ます、やっぱり探している音はしない。けれど別の音が振動と一緒に近づいてくる。

なんだろう――、考える隙も無く答えが先に姿を現した。

「こーら、どこで寝てるのよ。年頃の女の子がおなか出して寝ないの」
「おなかは出してません!」
「まったく、ヒマなら何か手伝ってよ。おかずは多くたって困らないんだからねこの家は」

妊婦だとは思えない溌剌さで笑う聖美おばさんは話していて本当に楽しい。佳主馬のお母さんで、とても佳主馬思いの優しい人。身体を起こして胡坐をかいて、おばさんを見上げるとよく膨らんだお腹が目立つ。
また親戚が増えると思うと、楽しみだ。なにより小さい子は可愛い、ちびっ子ギャング3人衆まで大きくなると若干憎たらしいことも多くなるけれど。初めて佳主馬に会ったとき、私は彼を一目で気に入ってしまい、離れるのを嫌だと駄々を捏ねた記憶もある。しかし、佳主馬は知らないだろう、何しろ彼は赤ちゃんだったのだから。彼も今は立派な中学生で、「可愛い」と言われるのを嫌がる年頃になってしまったが、私にとっては今でも小さい頃と同じ可愛いままなのだ。そんな中に時折見せる「カッコいい」男子の姿に距離を感じてしまうのだが、やっぱり可愛いの比率のほうが高いから今しばらくはこのままで良いことにしよう。そしてもう一つの「大好き」を私は大人しく――ではないけれど、健気に待つだけである。

「はあ、早く来ないかな、バイクに乗った王子様」
「まだ言ってるのー、この子は。バイクに乗ったおじ様なんて、全く……」
「いいじゃないですかー、愛しのバイクに乗ったおじ様……、おじ様?」
「反応遅すぎ」
「私は悪くない!日本語の発音が似てるのが悪いの!」
「静かにしてくれない」
「ごめんごめん、佳主馬」

軽い母親の謝り方に、文句を言っても意味は無いと思ったのだろう、佳主馬はチラっとこちらを一度見ただけで再び画面に向かった。

「理一おじさんと私にも謝ってください!おじ様じゃなくて、王子様です」
「ほーら、馬鹿言ってないで台所で手伝っておいで。理一兄さんのバイク音ならあそこでも良く聞こえるから」

ほら立った立った、と腰をつま先で蹴られて仕方無しに立ち上がる。聖美おばさんにエプロンを持ってきていないことを暴露したら、なんのために来たのよ!と大笑いされながら怒られた。バシバシと叩かれた肩が少し痛いけど、反論できないから受け止めるしか無い。

「まったくもう、私の貸してあげるから、やってきなさい」
「はーい、でもおばさんはいいの?」
「私はいいの、妊婦だから休んでる」

問題提起はおいといて結論だけ言えば、おばさんは無敵だ。
(まあ、家族の為だ、少しは働くとしようか)

(10/02/15)