私的まほろば

『家族同士、手を離さぬように。もし辛い時や苦しい時があっても、いつもと変わらず、家族みんなそろってご飯を食べること。一番いけないのはお腹が空いていることと、一人でいることなんだから。私は、あんたたちがいたおかげで、大変幸せでした。ありがとう。じゃあね――』



万理子がまぶたを閉じ、便箋を畳んだ。誰もが瞳に浮かんできてしまう涙をそっとぬぐう。横たえられた栄の顔は穏やかで、今にも起きだして「何しけた面並べてんだい?」とでも言いそうだ。しかしそれはありえない。ありえないと分かっているからこそ、遺書の言葉が胸に沁みた。

キィィィィ

色々と問題がありそうなブレーキ音が背後でしたかと思えば、侘助の声が響いた。

「ばあちゃん……!」

息があがり肩で呼吸をし、汗を滴らせ焦っている侘助の姿は、陣内家の誰も、今まで見たことが無かった。必死に駆け込んできたおじさんを、誰も非難の目で見たりはせず、『受け入れた』。万理子がふっと柔らかく息を吐いた。

「――侘助。母さんに、ちゃんと挨拶してらっしゃい」

縁側に進み出て、侘助に向かって厳しい声で言ってから、にっこりと微笑んで広間を振り返る。

「そしたらみんなで…ご飯、食べましょ」




栄おばあちゃんは凄い。語彙が少ないと自覚しているは、心の中でうまく表現しきれないことをもどかしく思いながらも、ただただ感動していた。そういえば丸1日前にも、同じように感動したような気がする。(遠い過去のことの様に思ってたけど、昨日の出来事なんだ……)昨日まで元気だった栄の姿を思い出し、鼻がツンとしてくるが、それをなんとかぐっと堪える。一通の手紙でバラバラになりかけた家族を再び結束させた栄の、あのピンと伸びた背中が目蓋の裏に蘇る。自分が死んだら大騒ぎするだろうと心配した、栄らしい手紙だった。形式に捕らわれず、相手を思い、語りかけるような手紙。だからこそ、残された者の胸が苦しくなる。言葉が幾度も耳の奥で繰り返される。

(おばあちゃんも、佳主馬も健二君も理一おじさんも、そして侘助おじさんも。自分に出来ることを精一杯…やってるんだ)

自分に出来ることは何か――。
一瞬心の中が真っ暗になりかけ、けれどすぐさま光が差すような眩しい感覚。自分の奥底にいる何かが、気づいてくれとばかりに自己主張している。




、ご飯の準備手伝って」

理香に声をかけられて、ははっとした。背筋を伸ばして深呼吸する。何かは分からないが、今なら何でも出来るような気がした。

「はーい」

涙声だけど、いつものトロいと言われる間延びした自然な自分の声に、は笑い出しそうになった。


(2010/08/26)